スタッフの雑感

Taka at Trauma Center of Robert Wood Johnson Medical School University Hospital:New Jersey便り⑬

今日はLunchのときに凄くうれしい時がありました。CafeteriaでACSと麻酔科のレジデントと6人くらいで食事をしていたのですが、麻酔科のDr Pleetが突然、「Taka,You’re getting better speaking English」といってくれました。さらに周りの人らも「We think so」といってくれました。めちゃ嬉しいですね。Luiz often appears in my dream and talk to me TAKA, you talk to in Engilsh, talk to in English.というとみんな爆笑していました。でも相変わらずLuizの英語は難しくて速いです。ご飯たべた?っていう英語が「Do eat?」でした。まだ初対面の人と話時に速く話されたらわからないこともあります。

On call roomに戻ったらDr. Leslieが入ってきて「Taka missed out!」といって先日搬送されたGunShotWoundが搬送されたとき、ジョージ先生とFamily Medicine見学で不在だった時で、みんながWhere is Taka?と探していたといっていました。I am very sorry! 

午後はDr. Peckが15時半にstaff officeにくるようにといったので、CABのofficeに行くと、会議をしていてその会議に参加させてもらいました。米国では外傷外科医やAcute Care Surgeonの養成にAmerican College of Surgeryの40ページ以上にわたるprogramに準じて行われます。RWJUHのレジデントがこのprogramに沿って順調に行われているか否か、うまくいってなければ何故うまくいっていないのか?どうすればよいかを上級医と看護師と看護師の中にeducatorというのがいて教育チームが話し合いをします。この中にはAASTの主要なメンバーもいて、RWJUHの意見がACSに反映されることもあるそうです。

日本ではどうなの?Takaはどう思う?とDr. Peckがどんどん聞いてくるのでobserveというよりMeegtingに参加させてもらっているという感じでした。Taka、君が日本にこのprogramを導入するんだ。世界のstandardにしようと熱く語っていました。臨床だけでなくこのような会議に参加させてもらえることもすごく充実感を感じます。

日本は大晦日と元旦にむけてそわそわしているところでしょうか。今後は循環器系のmanagementも勉強したいとおもいます。

Taka at Trauma Center of Robert Wood Johnson Medical School University Hospital:New Jersey便り⑫

 

12月28日は朝から雪が降っています。今日は朝からLivingstonにあるSt Barnabas Medical CenterのBurn Centerに見学に行きました。某社のLuisという以前兵庫医大に来たセールスマネージャーがNewBrunswickからLivingstonまで車で送ってくれました。ということは、着くまでの1時間半、二人だけで会話をしなくてはならず、ひたすらListening and talkingですごくいいtrainingになりました。

病院は田舎の住宅街の中にぽつんとある感じでRWJUHのような雰囲気ではなく建物は古く一部新造築していました。Burn centerは2階にありました。そこのTopのDr Maranoが対応してくれました。実はDr Maranoはジョージ先生の上司だったLowry先生やCalvano先生らとCornel medical centerで一緒に働いていたことがあってよくご存知で話が盛り上がりました。

Burn Centerは12床の熱傷患者だけの専用ICUと急性期を過ぎた患者さんが入院するSTEPDOWN フロアという16床の構成でした。ICU、リカバリーともに全室個室管理でした。NJに位置していますが、NYCからの患者が空陸から転院もしくは搬送されてくるそうです。Burn ICUは1床空きで結構埋まっていました。TBSA40~60%の患者さんが多かったです。受傷機転は、火焔熱傷が最も多く、自宅火災が最多、次に調理中に袖口から引火したもの、自殺企図、労災、消防士の労災が多いそうです。熱傷専門の医師は4名(米国ではGeneral Surgeryを習得しないとBurn Surgeonになれません)だけであとはナース、technicianといって国家資格ではないけど自前でトレーニングしたコメディカルスタッフ、PT・OT・ST・MSWなど70名以上のスタッフで運営しているとのことでした。

Dr MaranoはICU患者さんの病態を1人ずつ丁寧に教えてくれました。Burn Centerには熱傷処置室があったのですが、驚いたのは兵庫医大のBurn Centerの処置室と構造がほとんど同じだったことです。最先端の米国の設備が兵庫医大にあるといっても過言ではないのです。ちょうど処置をしていたので写真を撮ることができませんでした。日本と最も異なっていてかつ、驚いたのは熱傷の処置、つまり水洗浄なのですが、それを医師でもなくナースでもなくtechnicianがしていることです。このシステムは医師法などでさすがに日本では無理かな?と思いました。これらのコメディカルスタッフがある程度医療行為をできるのが米国の特徴です。

広範囲Ⅲ度熱傷の治療のストラテジーについても聞いてみました(英語が通じなかったら困るので聞くことLISTを英語で書いて同じものをDr Muranoにも渡しました。)ここは興味深いというか米国のシステムの問題ですが、熱傷の治療は患者の加入している保険により異なることです。なので簡単にコストのかかる人工真皮やCEA(培養表皮)は使えないそうです。だからそれよりも安価なallograftを使う頻度が多いのだそうです。実際当日入院してた16歳の少年はガソリンスタンドで給油してる時にライターから引火し60%の熱傷となっていましたが、貧困な家庭で保険が使えないので、治療をあきらめないといけなく、敗血症を合併したので明日抜管するそうです。(積極的治療ができないときの抜管は安楽死には該当しないそうです)

重症熱傷の治療そのものは日本と変わりないことがわかりました。このような条件でABLSをするのも難しいだろうなというのが正直な感想です。あとはやはり熱傷患者など特殊な治療を要する場合はトレーニングを受けた医師やスタッフがいる施設に集約しそこで治療するべきだということです。1年で数件しか治療しない医師や施設に入院させても予後は悪くなるだけとういのは既にEBMで証明されています。今回はさらにそれを確信したのと、当センターが地域の集約的機関としてイニシアチブをとるべきだと感じました。今後、ここのBurn centerでの短長期研修ができるか尋ねたら喜んでといってくれました。RWJUHと姉妹関係だしいつでもどうぞといってくれました。最後に記念撮影をしてLivingstonを後にしました。収穫の大きい1日でした。

Taka at Trauma Center of Robert Wood Johnson Medical School University Hospital:New Jersey便り⑪

 

ジョージ先生がNewBrunswickに来られて2日目の朝はDr Lin先生が診療とレジデントに指導しているclinicの見学に行きました。Family Medicineは日本でいうと「総合診療科」にたいなものでしょうか。写真を見てもらえればわかるとおもいますが、レジデントは診察後に問診や診察内容をDr Linに報告し、そこでsuggestionを受けます。コーヒーをもったまま足を組んで指導医のアドバイスを受ける光景は日本ではありえないですが(笑)ここで普通です。

昼はジョージ先生とCafeTeriaでLunchとってから、CABというスタッフがいる(日本でいう医局棟)に移動して、ジョージ先生がDr PeckやDr Hannaらと初対面し挨拶することができました。13時からはtrauma teamのトップのDr Gupta先生と3人でMeetingをしました。学生の交換留学も大切ですが、臨床医としても留学も大切です。今回は兵庫医科大学救命救急センターとRWJUHのACSやTTとの間で交流できる一歩を踏み出せたように思いました。そのあとはジョージ先生にER・EDやICU、Tower Building9階の一般病棟などを案内しました。ICUでLuizらにあうことができたのでジョージ先生に紹介し記念撮影をしました。珍しくLuizが堅くなっていました。夜はDr Lin Familyらと食事をしてジョージ先生を見送りました。ジョージ先生お気をつけて!

Taka at Trauma Center of Robert Wood Johnson Medical School University Hospital:New Jersey便り⑩

 

25日はクリスマス。日本でいう元旦みたいなものでNJはほとんどの店が休業で閑散としていました。夕方にNJ transitでNYCに向かいました。なんと車掌さんのTicketがありませんでした。車掌さんもオフモードなのかもしれません。TimesSquareでジョージ先生と待ち合わせをし、久しぶりの再会です。久しぶりに日本語で会話できるのが新鮮でうれしかったです。地下鉄で7thAV Christopher StにあるThe BAR55へ行き、JAZZを聞きました。前座だったのですが、今回はフルートのJAZZでスェーデンから来ている(もしくは留学できているか)フルート奏者が半端なくうまかったです。本場NYのJAZZは最高にいいですね。それから一緒に食事してNJ transitで再びNewBrunswickに戻ったのでした。

翌朝26日は休日扱いなのですが、7時の申し送りに参加しました。急性腹症や外傷の入院が沢山ありました。Luizも日勤(休日の宿直みたいなもの)で出勤していたのでみんなで受け持ち患者を回診しました。さすがに祝日ということもありER・EDが閑散としていました。こんなERはみたことないというくらい静まりかえっていました。少しレジデント組とNsとでコーヒー飲みながらmeetingをして、そのあと術後の処置やVAC交換などをしてからアパートに戻り、ジョージ先生の宿泊しているホテルで再会しタクシーでCalvano先生のいるPrincetonに向かいました。PrincetonはNewBrunswickの南方にある町でのどかな場所です。Calvano先生の御自宅をUpしますが、とても広く優雅に過ごせる環境です。ご自宅に入って最初に気が付いたのは音楽が流れていて、その曲は私が好きなStingの「Message in a bottle」だったことです。またスピーカーから出る音がすごくいいんです。それについての詳細はジョージ先生がブログに書いてくれるものと期待し、ここでは割愛します。Calvano先生もジョージ先生もわかりやすい英語で話していただけるので会話に参加できて楽しかったです。Calvano先生はジョージ先生のことを優秀だと褒めまくっていました。その上司の先生が凄い誇りに思っていたともいっていました。楽しい時間はあっという間でした。Retireしたらこんな生活送りたいなあと思いました。

翌日はジョージ先生とFamily Medicineを教えているDr.Linの職場を見させてもらう予定なので今日の便りはここまでとします。

Taka at Trauma Center of Robert Wood Johnson Medical School University Hospital:New Jersey便り⑨

12月24日と25日はクリスマスでみんなそわそわしています。日本でいう正月みたいな感じですね。日常生活の紹介があまりなかったので、せっかくなので使えない(笑)でも使える医療英語と日常英語を少し紹介します。私たちが日常でごはん食べた?と相手に聞くときにわざわざあなたはごはん食べましたか?とはあまりいいませんよね。それと同じように英語も省略していることが多いです。例えば事故で搬送された患者さんに事故のこと覚えていますか?はDid(Do) you remember what happened?となりますが、実際ではRemember your happened?といっていることが多いです。これじゃまじめに英文法やっててもなかなか理解できないですよね。もちろん論文でこのような文章はだめでしょう。それから今日退院にしますか?ならDoes he discharge today?ですが、D/C today?と略していっています。こういうのはLuizやDanielらにwhat does it mean?としつこく聞くしかありません。CT検査が終わったときに技師さんが「終わりました。」といのはfinishedではなく「Done!」です。この辺も感覚で覚えていくしかないように思います。How are you?の返しはI’m fineですがDr. HannaはよくI am here(適切な和訳ならこのとおりさ)と返します。American Jokeですが意識障害の確認によくWho is president?と聞くのですが、時々next president?president-elect?ときいて患者さんがTrumpと答えると「意識障害ありかなあ?(笑)」なんていっています。現場の言葉を少しずつ感覚で身に着けています。

24日は珍しく相棒のHard WorkerのLuizが「a little tired today」と私に漏らしていました。チーフレジデントとしての重圧に私の面倒見てくれてるのもあるんですが、4か月の姪っ子さんが全身の発疹と熱(突発性発疹なのか?)でNYCのこども病院に入院したので気になるので仕事終わっていくといっていました。夕方は外傷がたて続いて、私もこれが終わったら帰るといっていたのに、連続で搬送されて「I cannot go home in this situation」といったらNight shiftのスタッフDr Lethlieが「Taka cannot go home!」と繰り返しながらめちゃくちゃ笑っていました。LuizやDanielは先に帰るよMerryXmass Have a good holidayといって帰っていきました。その時は、お疲れさんと日本語で返しました。

日曜日はジョージ先生とNYCで会えるので楽しみです。

Merry Christmas!

今日の写真はロックフェラーセンターのクリスマスツリーです。なんか癒されます。

Taka at Trauma Center of Robert Wood Johnson Medical School University Hospital:New Jersey便り⑧

No sleep last night!

朝のカンファレンスで私がそういうと、ACSやtrauma team(TT)のスタッフやレジデントは大爆笑となりました。

昨日、Night Shiftに入らせてもらいました。昨夜のACS:TTの上級医はDr HANNAでした。On call roomではTAKAは何を勉強しに来たのか?から始まりました。今週に閉創の手術の適応にagreeしたり、感染症のcheckについて提案していたのを知っているので、君は臨床は十分できるのではないか?といってました。もちろん、まだまだなんですが、ATLSをマスターし勉強すること。それから大切なのはPrimary SurveyやSecondary Serveyの次の手術や処置、根治術か姑息的手術なのかを何を根拠に考えるかがまだわかっていないというと、Dr HANNAはそこが大切なんだ、アメリカでも同じ。Secondary Surveyのあとの治療は人によって異なりそこが課題だといっていました。また、ショックを伴う肝損傷の出血はどうしてる?と聞かれ、ガーゼパッキングによるDamage Control Surgeryですと答えると。「その次どうするかが大切なんだ」といってJ traumaの肝損傷の文献を山のように私にプリントして熱く語ってくれました。Initialの処置のストラテジーを統一するのはアメリカは得意で、次の踏み込んだ治療はまだまだなんだよといっていました。因みに肝損傷はDCSの後は動脈損傷ならTAEを行い、壊死すればnecrosectomy、IVCの損傷は胃管などをもちいてバイパスをつくるしかないといってました。あえてゆっくり話しかけてくれるのですごく話しが盛り上がります。

そういってるとMVC(交通事故)による多発外傷が搬送されてきました。骨盤骨折Ⅱb open book fractureでショックバイタルでした。造影CTで骨盤内出血を示唆する所見がありました。ここでもDr HANNAはResponderならどうする?non-Responderならどうする?と質問してきます。コンセンサスは一致していました。そしてIVRを放射線科に依頼したのですが、この日のon callのIVR Drがレジデントからスタッフに上がったばかりのDrでレジデントには適応がないとかいろいろいっては来たがらないという始末。Dr HANNAが電話でATLSのプロトコルでIVRが第一選択なんだから直ぐにきて血管造影をしてくれといってようやく血管造影が始まりました。操作室でDr HANNAと一緒に血管造影を見ていました。内腸骨動脈の分枝からの血管損傷と出血を認めました。ここで何故かsuper selective embolismを選択しようとし、時間はかかるしなかなか塞栓できないしで、ガーゼパッキングも頭によぎりました。私がEmergencyなときの外傷による内腸骨動脈ならもっと中枢側で塞栓をしてはやく血行動態を安定させ時間をかけるべきでないのでは?というと「Exactly!But・・・・・Because he is young」といっていました。アメリカのレベルⅠtrauma centerでもこういうことがあるんだなと思いました。Dr HANNAは君のストラテジーは凄くいいといってくれました。そんなわけで、アメリカでも睡眠時間ゼロのnight shiftとなってしまいました。そして、そんなわけで今回は写真が撮れなかったので雪の積もっているRWJUH付近とmain Lobbyのクリスマスツリーを送ります。

Taka at Trauma Center of Robert Wood Johnson Medical School University Hospital:New Jersey便り⑦

NJ便り⑦

今週の上級医はDr HANNA(ハンナ)です。Dr HANNAは凄くおっとりした風貌ですが、消化器外科と外傷外科に対するストラテジーは完璧に頭に入っていて、次への処置や治療への移行がものすごく早い先生です。Stab Wound(刺創で)Abdominal Compartment SyndromeでNPWT(RWJUHではVACを使用しています)を使用している患者や大腿部のNPWT使用患者もデブリードマン術後48時間以上経過して感染徴候がないから明日手術室で創閉鎖をやろうといっていました。また、Dr HANNAは凄く私の意見を聞いてきます。What do you think in Japan?何度も聞いてきます。彼は丁寧な英語で話しかけてくれるのでdiscussionができやすいのでとても勉強になります。頸椎損傷で気管切開と胃瘻が必要な患者さんがいるのですが、麻酔科から熱があるのにやるの?といわれていました。トラウマチームのレジデントたちは肺炎もないし白血球やCRPも上昇していない、他の感染となるような所見はない、中枢性の熱ではないかといっていました。Dr HANNA先生が「TAKAはどう考える?気切や胃瘻をこのconditionでする?」と尋ねてきました。私はプロカルシトニン(PCT)が高値でなければ手術をするし、PCTを評価したらどうか?と答えました。Dr HANNAはレジデントの先生らに「TAKA suggests good idea!」早速PCTを測ってみようといっていました。治療方針を相談してくれたり聞いたりしてくれるのはチームの中に入れている感が実感できて嬉しいものです。

米国では1歳から44歳までの死亡原因の1位が外傷でその中で多いのが交通事故・転落・銃創など武器によるものとなっています。実際にtrauma centerにはMVC MVA Fall GunshotWoundが多いです。また日本と同様アメリカも核家族化が進み高齢者の屋内外での転落外傷がかなり多いです。これに加えCAD(冠動脈疾患)やCVA(脳卒中)の罹患率が高く多くの人が抗血小板薬を内服しているので、転落した後の頭蓋内出血や血胸、腸間膜出血が多いのが特徴です。今日も転落による右血胸がかなりたまった高齢男性が搬送されて、若手の先生らがERで胸腔ドレナージを入れていました。エコー下で行っていたのですが、ちょっと時間がかかってしまっていて遠目から見ていたら初療のナースが「TAKA、あなたがやったほうが絶対早いでしょ!あなたがやりなさいよ」といっていました。こういう風に思われていることも光栄なのかもしれませんね。

最後に今日は現場の写真がないのでRWJUHで麻酔科医として働いている唯一の日本人のDr Tanaka夫妻の写真をお見せします。彼は米国生まれで小学校が日本だったらしく、中学からカナダの中高で勉強してアイルランドの医大を出てRWJUHの麻酔科で働いているらしく、オペ室で知り合い、週末にNJで人気の小籠包のお店とアジアンフードマーケットに連れて行ってもらいました。少し割高だけど、赤いきつねやカレーや日本米やふりかけを購入しました。縁は大切ですね。

Taka at Trauma Center of Robert Wood Johnson Medical School University Hospital:New Jersey便り⑥

 

ACSのレジデントの女医さんのDr Krupaに漢字のプリントしてある日本タオルをプレゼントしたのですが、「What is Kanji?」と聞かれ思わずFreezeしてしまいました。そういえば日本語でも説明しにくいいなあと・・・。結局Wikipediaで理解してもらったんですが、自国のことを説明するっていうことは大切ですね。

昼食時に、あるACSドクターからめちゃくちゃまくし立てられるように話かけられたんですが、聞き取れず「もういいや」みたいな態度されたのでここで下がってはいけないと思い、メモ帳を出してこれに書いてくれといって書いてもらったら「I lived in ○○ 2years ago」でした。思わずPlz talk to me more slowly!といいそうになりました。ある程度聞き取れると勝手にSTEP UPされるのでそれが怖いですね。一方でLuizからは「TAKA~You had always cheese Burger everyday because you didn’t how to order any topping!といって笑っていました。

 

ジョージ先生がRWJUHに留学してはったときにdonateされた漢字のタペストリーを見て元気だしていたそうですが、僕は今は小児科病棟に行くときにwelcomeの世界の言語が壁に書かれているところがあって、そこの「ようこそ」というひらがなを見ては日本人としてもprideを維持しようとか思っています。はじめはtake a deep breath(大きく息をしてください)のdeepがどうしても聞き取れなかったんですが、いまは感覚で聞き取っている感じです(まじめに聞き取ろうとしていたらおそらくずっと聞き取れないと思います)

臨床の方は収穫が多いです。若い先生がFirst Impressionであまり重症でなくバイタルサインも安定していたので初療で右足を異常に痛がっていたので胸部レントゲンの後にそのままついでに下肢のレントゲンを撮ろうとしたら、やはりマニュアルでは高エネルギー外傷なので四肢は後に回し、先に全身CTを優先するようにと注意されていました。こういうきちんとしたマネージメントを守ることも必要なのかもしれないと感じました。カテ室やIVRセンターでのTAEなども見学できて有意義な1日でした。

夜は黙っていたのですが、誕生日だったのでACSやtrauma teamのメンバーだけでなく、麻酔科医や放射線科のDrまできて祝ってくれました。病院の近くのBARがたまり場なんですが、みんなスクラブで行くんです。日本ではありえないことですが、私もスクラブで参加しました。写真は明るい方は外傷のエキスパートのDr PeckとスタッフDrのLeslieとの写真で暗いのは祝ってもらったときのものです。

I am so happy to have met guys!

Taka at Trauma Center of Robert Wood Johnson Medical School University Hospital:New Jersey便り⑤

 

Trauma teamはDepartment of Acute Care Surgery(ACS)の中のユニットなのでACSのメンバーとはいつの間にか顔見知りとなり仲良くなります。またしょっちゅうope室に行くので、麻酔科やオペ室のナースRNに名前を覚えられ、想像以上に声をかけられるようになりました。私が日本語をいうと皆何故かよろこびます「OHAYOUGOZAIMASU」「KONNICHIWA」「SAYONARA」はみんな知っているようです。毎週水曜日は教育棟にあるhallでMortality & Mobility Conferenceを行います。若手の先生がプレゼンしてベテランドクターが次々と質問やcommentしてきます。ただ、怒鳴ったり恫喝する人は一人もいません。Gentleな雰囲気でdiscussionが行われます。

こちらの独特な言い方にも慣れてきました。「trauma 4min by air」直訳したら空気による外傷4分?みたいになりますが、外傷がヘリであと4分で搬送されてくるという意味です。

また日本の医学英語辞典などには交通事故はtraffic accidentとなっています。一般的では間違いないけどtrauma centerでの表現は車による閉じ込め外傷やCrushが原因の場合はMVC(Motor Vehicle Crushもしくはcompression)と表現され、はねられた人はMVA(Motor Vehicle Aaccident)と呼んでいます。銃創は思った以上に多く前述しましたがGunShotInjuryではなくGunshotWoundといいます。あとはStab Wound(刺創)も少なくありません。

RWJUHのプレホスは前述したかもしれませんが、ナースと救命士のユニットになります。(医師は現場にいきません)昨日は小児の外傷が搬送されてきましたが、すでにフライトナースがルートを確保していました。技術もかなり修練されている感じでした。

昼食はACSのメンバーとgeneral surgeryの連中と食事をしました。その中の1人は外傷特に戦争による外傷を学ぶためにイスラエルで1年間学んだそうです。その費用的支援も国や大学病院がしてくれるそうです。国をあげて外傷外科医を育てようという姿勢を感じました。

午後はCCUでcardiologistらと話ができました。因みにPCIをうる医師はsurgeonと呼ばれます。(因みに熱傷専門医はBurn Surgeonと呼ばれます)

やはりECMOは重症肺炎かARDSのためのVV-ECMOが多く循環補助のためのVA-ECMOは使わないそうです。ただ最新のデバイスとしてImpella Dviceといって大腿動脈から経皮的に穿刺してカテーテルのように左室に留置し左室に流入してきた血液をカテーテルが吸引し大動脈部からそれを流出させる小型のカテーテル方ポンプを使用していました。大腿動脈穿刺だけで済むしカテーテル径もECMOより細いのが特徴です。まだ日本では承認されていませんが、これが使用可能になれば心カテの複雑病変の治療やLOSの治療にも有用だと思います。

Traumaの勉強ではPenetrating Neck Injury(鋭的頸部損傷)のマネージメントについて教えていただきました。胸骨体上縁から下顎骨の顎関節までの間はZONEⅡとよばれ、EAST(Eastern Association for the Surgery of Trauma)のGuidelineに基づいて検査、治療されます。AASTやEASTのガイドラインなど、ここまで細かい外傷のガイドラインは日本にはまだ存在しなと思います(あったらすみません)。米国のガイドラインの細かさと多さには驚くばかりです。

夕方はMorel Lavallee Lesionの洗浄ドレナージの手術をみさせてもらいました。これは鈍的外傷のときに大腿付近に生じやすい閉鎖性デグロービング損傷で、外力により真皮層と脂肪層の間が剝ぎ取られるように避けて、そこの血腫が溜まり鞘を形成してしまうので抗炎症性細胞が中に入りにくく吸収できないので治癒までに遷延するものです。日本では稀となっていますが、米国では少なくないそうです。

帰りに、Atriumという病院真ん中の集会スペースでannual Grobal Health Fairというのをやっていました。科を越えていろんな科や学生がそれぞれの専門分野や研究したことをポスターにして発表するイベントです。こういう開かれた文化や交流は学ぶべきだと感じました。

こんな感じで言葉の違い、文化の違い、医療や環境の違いを同時に学んでいる毎日を過ごしていることを実感しています。明日は何がおきるやら・・・

Everytime Do my best!

(↑私が勤めていたときには、Reseach Dayと呼ばれていました:by小谷穣治)

Taka at Trauma Center of Robert Wood Johnson Medical School University Hospital:New Jersey便り④

今朝は冷え込みが厳しく足元が冷えました。朝からACS(心臓の方です)とか交通外傷患者が搬送されてきました。米国のEMT(日本でいう救命士)は救急現場での医療行為(処置)の範囲が日本のそれよりもかなり広い範囲で行います。ほとんどの重症患者は末梢静脈路確保(ほとんどが18Gの太い針です)されており、CPAの場合は気管挿管されています。EMT(EMS)は静脈路確保や気管挿管など技術だけでなくSAMPLE聴取(既往歴や内服歴、アレルギーや食事の最終摂取時刻など)もうまく、こまかく聞いて初療医に報告します。こういう教育も是非持ち帰りたいと思います。

今朝驚いたのは救命の維持ができない患者対応のシステムです。残念ながらこれ以上救命が望めないと判断した場合、医師が患者家族にその事実を話します。面談室の外にはコーディネーターが待機しています。臓器提供を希望するかを尋ね、希望しない場合はその人に信仰している宗教があればその関係者を呼んで患者さんとご家族のケアをします。例えばキリスト教なら牧師さんが来られてベッドサイドでご家族とお祈りをします。日本ではそのケアは多くはナースになるのでしょうか?文化や背景の違いも勉強になります。

こちらに来て約10日ほどになり少しずついろいろなことに慣れていきました。

まず朝のカンファレンスの会話内容が、最初はバイタルサインを理解するのにやっとでしたが、主訴や現病歴や問題点、治療方針などがわかるようになりました。朝はいろんなスタッフが「Hi, TAKA! How are you?」と声をかけてくれるようになりました。

大きく変化があったのは食事の注文などほしいものがきちんと手に入るようになったということです。カフェテリアではサンドイッチなら使うパンの種類、それを焼くかどうか?などトッピングを聞かれます。はじめは何をいっているかわからないのでたじろぐばかりで、オーダー不要なバーガーばかり食べていましたが、今はトッピングができるようになりました。今日はサーモンのクリーム煮とチンゲン菜を茹でたものとライスをトッピングしました。 嬉しそうにしている僕を優しい眼差しでみんな見てくれています。写真は逆行ですがランチのときのものでDr LuizとDr Danielと一緒です。

午後はGeneral ICU(ここではMedical ICUといっていました)やCCUにいる患者さんの回診をしました。基本それぞれが広い個室となっています。院外CPA、心室細動に対するVAECMO(ECPR)は手技が煩雑なのと、費用のこともあり基本的にはやらないそうです。ここは日本がリードしていくべき分野だと思います。

今日は冷え込んだので院内で使用する上着を買いました。実はほしかったんだけどどうやって買っていいかわからず、ようやく手に入れることができました。

スタッフDrもいつもいつも不備がないか?満足しているか?他にみたいことややりたいことないか聞いてくれます。贅沢な時間を過ごさせてもらっています。

夜はAcute Care Surgeryのみんなが歓迎会をしてくれました。