Taka at Trauma Center of Robert Wood Johnson Medical School University Hospital:New Jersey便り⑤

 

Trauma teamはDepartment of Acute Care Surgery(ACS)の中のユニットなのでACSのメンバーとはいつの間にか顔見知りとなり仲良くなります。またしょっちゅうope室に行くので、麻酔科やオペ室のナースRNに名前を覚えられ、想像以上に声をかけられるようになりました。私が日本語をいうと皆何故かよろこびます「OHAYOUGOZAIMASU」「KONNICHIWA」「SAYONARA」はみんな知っているようです。毎週水曜日は教育棟にあるhallでMortality & Mobility Conferenceを行います。若手の先生がプレゼンしてベテランドクターが次々と質問やcommentしてきます。ただ、怒鳴ったり恫喝する人は一人もいません。Gentleな雰囲気でdiscussionが行われます。

こちらの独特な言い方にも慣れてきました。「trauma 4min by air」直訳したら空気による外傷4分?みたいになりますが、外傷がヘリであと4分で搬送されてくるという意味です。

また日本の医学英語辞典などには交通事故はtraffic accidentとなっています。一般的では間違いないけどtrauma centerでの表現は車による閉じ込め外傷やCrushが原因の場合はMVC(Motor Vehicle Crushもしくはcompression)と表現され、はねられた人はMVA(Motor Vehicle Aaccident)と呼んでいます。銃創は思った以上に多く前述しましたがGunShotInjuryではなくGunshotWoundといいます。あとはStab Wound(刺創)も少なくありません。

RWJUHのプレホスは前述したかもしれませんが、ナースと救命士のユニットになります。(医師は現場にいきません)昨日は小児の外傷が搬送されてきましたが、すでにフライトナースがルートを確保していました。技術もかなり修練されている感じでした。

昼食はACSのメンバーとgeneral surgeryの連中と食事をしました。その中の1人は外傷特に戦争による外傷を学ぶためにイスラエルで1年間学んだそうです。その費用的支援も国や大学病院がしてくれるそうです。国をあげて外傷外科医を育てようという姿勢を感じました。

午後はCCUでcardiologistらと話ができました。因みにPCIをうる医師はsurgeonと呼ばれます。(因みに熱傷専門医はBurn Surgeonと呼ばれます)

やはりECMOは重症肺炎かARDSのためのVV-ECMOが多く循環補助のためのVA-ECMOは使わないそうです。ただ最新のデバイスとしてImpella Dviceといって大腿動脈から経皮的に穿刺してカテーテルのように左室に留置し左室に流入してきた血液をカテーテルが吸引し大動脈部からそれを流出させる小型のカテーテル方ポンプを使用していました。大腿動脈穿刺だけで済むしカテーテル径もECMOより細いのが特徴です。まだ日本では承認されていませんが、これが使用可能になれば心カテの複雑病変の治療やLOSの治療にも有用だと思います。

Traumaの勉強ではPenetrating Neck Injury(鋭的頸部損傷)のマネージメントについて教えていただきました。胸骨体上縁から下顎骨の顎関節までの間はZONEⅡとよばれ、EAST(Eastern Association for the Surgery of Trauma)のGuidelineに基づいて検査、治療されます。AASTやEASTのガイドラインなど、ここまで細かい外傷のガイドラインは日本にはまだ存在しなと思います(あったらすみません)。米国のガイドラインの細かさと多さには驚くばかりです。

夕方はMorel Lavallee Lesionの洗浄ドレナージの手術をみさせてもらいました。これは鈍的外傷のときに大腿付近に生じやすい閉鎖性デグロービング損傷で、外力により真皮層と脂肪層の間が剝ぎ取られるように避けて、そこの血腫が溜まり鞘を形成してしまうので抗炎症性細胞が中に入りにくく吸収できないので治癒までに遷延するものです。日本では稀となっていますが、米国では少なくないそうです。

帰りに、Atriumという病院真ん中の集会スペースでannual Grobal Health Fairというのをやっていました。科を越えていろんな科や学生がそれぞれの専門分野や研究したことをポスターにして発表するイベントです。こういう開かれた文化や交流は学ぶべきだと感じました。

こんな感じで言葉の違い、文化の違い、医療や環境の違いを同時に学んでいる毎日を過ごしていることを実感しています。明日は何がおきるやら・・・

Everytime Do my best!

(↑私が勤めていたときには、Reseach Dayと呼ばれていました:by小谷穣治)