センター長の雑感

第3回 Acute Care Surgery報告&臨床外科前夜

 

東京であった第3回 Acute Care Surgeryに行ってきました。今回のメインテーマは十二指腸損傷。当科のママさん外科医のM先生が過去10年の10例の十二指腸損傷をざっとまとめて発表したのち、その中の1例を集中的にプレゼンしました。どこの施設も症例数は少なく、うちはその中でもかなり多い方だったんですね。M先生のスライドが出来たのが朝の5時。忙しい臨床&子育て業務の中、良くまとめてくれました。消化器外科領域で昔から常識と言われている管理方法がゴールドスタンダードではないんじゃないか、実際この症例で試みた方法は非常に奏功したという内容です。いろんな意見が出ましたが、自分で手術して術後管理に苦労して救命した症例の発表は説得力がありました。良く頑張りました。一つ前のブログと同じですが、是非論文にしましょうね。

ママさん外科医M先生@Acute Care Surgery 2011

そして、明日は、当科から私の出身医局:神戸大学肝胆膵外科に出向しているF先生が同じく東京で開催されている臨床外科学会で発表です。ほんとは今晩一杯飲みに行く予定だったのですが、後輩のK先生の直前特訓が完了せず、朝イチ発表なので時間切れ。残念だけど、明日の朝は頑張ってくれるでしょう。GOOD LUCK! 

尾迫貴章助教、藤原亮子コーディネーター、神戸新聞に載る!

 

久しぶりの書き込みです。多忙を理由に少々遠ざかっておりましたが、ネタはたくさん溜まっていますので、これからぼちぼちと書き込んで行きます。乞うご期待!

 

先ずは、これから。臓器移植法改正により本人の意思が不明でも家族の了承の元に脳死下臓器提供が出来るようになりました。しかし、提供施設となりえる我々の施設では、現実的な問題を実感しています。今回は、当科の尾迫貴章助教と兵庫医大看護師でもある兵庫県臓器移植コーディネーターの藤原亮子さんが神戸新聞の取材に応じています。

(神戸新聞社の掲載許可をもらっています。)

ここをクリックしたら拡大版が見れます。

 

ついでに…

 

さっきのブログで学生さんとの趣味の世界をお伝えしましたので、今度は仕事仲間との別バーションをお見せします。

 

2009年の教授就任パーティーでは、変わった事をやったらという理事長のお勧めもあり、ギター&歌で医局の結束を示そうということになりました。私がギター、歌とギターが当科のくぼちん、ドラムは僕が研修医の頃ポリクリで回って来たM先生(今は立派な外傷外科医)、それから路上ライブで知り合った人たちでやりました。映像は小学生の息子が撮ってくれたので画面が揺れてます。すいません。くぼちんの替え歌「今夜はジョージコタニの一世一代のパーティーだぜ〜」に呼応して「なに、それ???」という撮影者=息子のMCが気になります。

 

教授就任パーティー:この時はギターを弾きました。気分良かった。

 

 

ついでに、とっても古い自作曲のライブ版です。演奏は、ギターが医学部同級生で外科医になったS先生、ベースが私、残りの音源はYAMAHA QX1(シーケンサー)(古い!)で打ち込んで作りました。曲は単調ですぐ出来ましたが、打ち込みが大変!!論文一本書くくらい頭脳労働しました。

私(ベース)とS君(先生)(ギター)とYAMAHA QX1

 

 

いつも忙しい救命救急センターですが、仕事の合間にも心をリリースする時間が必要ですね。

学生さんと遊ぶ。

昨年から大学の軽音楽部の副顧問にしてもらいました。学生活動の監督が名目ですが、実は一緒に遊ぶのが目的です。昨年4月の神戸のライブハウス、11月の学園祭での野外ステージで学生さん&初期研修医先生たちと遊んでもらいました。楽しかった!

 

新歓ライブ(歌をかき消すように弾きっぱなしのギターが私。アドリブで好きなようにかぶらせてもらいました。出だしこけましたが、後半気持ちよかった!シモさん:ヴォーカル&ギター、トムさん:ベース(リズムがかっこいい!)、トクさん:ドラム)

http://www.youtube.com/watch?v=gZaxI3ytqNg

 

学園祭(今回はベースを弾きました。寒かった!)

 

今年も出ますよ!

東日本大地震:宮城県石巻医療救護活動報告

 

3月11日に東日本巨大地震が起こってからの兵庫医大の医療活動を簡単にまとめると以下のようです。詳細は兵庫医大HPをご参照下さい。

http://www.hosp.hyo-med.ac.jp/news_detail.php?uid=news940e7857a07c4efc10e9aaedb148ef78

 

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1)兵庫医大DMAT :3/12-3/14

岩手県花巻空港から羽田まで自衛隊機で6名の重症患者の搬送に従事。

 

2)兵庫医大救護医療チームA班:3/16出発-3/20帰院

福島県郡山避難所で医療活動

→兵庫県が宮城県へ救護班を派遣する決定通知あり

→兵庫医大は兵庫県先遣隊として急遽、宮城県石巻市へ移動

→石巻市の鹿妻小学校避難所で医療活動を開始

 

3)兵庫医大救護医療チームB班:3/18出発-3/21帰院

石巻市の鹿妻小学校避難所で医療活動

 

4)兵庫医大救護医療チームC班+小谷(私):4/4-4/9

石巻市の鹿妻小学校避難所で医療活動

→大きな余震により、兵庫県の後継医療班が到着出来ず、予定を一日延長し、昨日無事に帰還。

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私は、震災後今回の派遣まで“派遣する側”、すなわち大学病院に残って司令本部の業務をしていましたが、ようやく落ち着いて来たので私も現地に入って問題点を洗い出すことにしました。

兵庫医大救護班Cのメンバー(鹿妻小学校校庭で)

 

<救護所>

1.疾患内容

救護所を受診される人たちの症状は、嘔吐、下痢、感冒様症状が主体です。

 

慢性疾患の薬剤が流されてない人も多く来られましが、今では薬剤は宮城県庁に言えば薬剤は次の日には入手可能です。

 

急性期の外傷は処置も終わって抜糸等も終わっており、創部の感染層や俗層の処置などが処置の中心。しかし、そろそろ家の片づけを始める人たちが多くなり、それに伴う小さな外傷が増えそうな気配です(釘を踏んだ、手を切った、など)。縫合処置に必要な滅菌済み手術器具が無く、今後持ち込む必要があると思います。

救命救急センターの井上朋子医師の診察風景

 

舛谷隊長の診察風景

 

2. ちょっとした工夫

診療所内の薬局スペースは薬剤が平坦に並べられていたのですが、ちょっとした工夫でこんなにすっきりしました。

 

薬局スペース改変前

 

薬局スペース改変後

 

<避難所>

1.比較的元気な人が多い

避難所となっている鹿妻小学校に避難されている方々は比較的元気で、寝たきりの人はほとんどいません。逆に言えば、丘や建物の上階に登れなかったいわゆる弱者の方々は津波にのまれたということなのでしょうか。

避難所回りの途中で配給されたジュースを頂きました。皆さん、比較的元気です。

 

2. 高血圧が多い

救護所には来ない人たちでも、このように訪問すると、「血圧測って」とおっしゃる方が多かったです。ちゃんといつもの降圧薬を服用されていて、血圧のコントロールも良かった人たちでも、上が180や200mmHgもある人が複数いらっしゃいました。ストレスや配給に寄る偏った食事が原因でしょうか。また、もともとコントロール良好だっただけに、救護所でも薬だけをもらっているようで、このように避難所の出前診療も必要と感じました。

血圧測定中。このかたは190mmHgありました。

 

3. 感染症の心配

昼の避難所は、家の片付け等で出払っており、ほとんど人が居ません。しかし、夜はこのような大きな空間に数百人の人が寝泊まりするので、風邪やインフルエンザ等の感染症の蔓延が心配です。

一番大きな避難スペースである体育館

4. ペット部屋

小学校の1教室がペットとともに避難されてきた人たちの部屋になっています。やはりペットを家族の一員と感じておられる方々には必要な場所だと感じました。また、避難所でペット部屋というのは日本の災害では初めてだと、どなたかがおっしゃっていました。

ペット部屋の様子

 

<食事>

1. 差し入れ:パンとおにぎりが中心→便秘になる、高齢者にパンは無理

神戸の地震の時に私も感じたことですが、差し入れとして配給される食事内容がパンとおにぎり中心です。最初の3日間は食べるものがほとんどなくて、パンやおにぎりが届けられた時はとても嬉しかったのですが、そのあともやっぱりパン・おにぎり中心の配給が続き、これらを食べ続けると便秘になってしまいます。実際多くの方が便秘と腹部膨満感を訴えておられました。また、高齢者の方にパンは無理があります。飲み込めません。

 

2.食べたいもの

そこで、避難所の方々や救護所を受診される方々に今欲しいものは何かという調査をしています。まだ集計出来ていませんが、印象として、野菜、果物、刺身(高齢の方々)、肉(若者)の希望が強かったです。私も神戸の震災時にパンとおにぎりで便秘になってしまい(最初の3日間は嬉しかったのですが)、タクアンが配給されたときはとても嬉しかったですね。野菜の漬け物などがいいかもしれません。

3. 炊き出し

こんな中でボランティアや自衛隊の方々による炊き出しは、暖かくて、野菜があって、のどごしがよくで、とても評判が良かったです。もちろん我々は持参の食料を食べましたが、一度だけ、自衛隊の方に「毒見です(味見じゃない)」と言って一杯頂きました。とてもおいしかったです。味付けは特に決まったものはなく、”心意気”で決めるそうで、調味料を手で掴んで入れて行き、毒見(味見?)しながら調理されていました。

 

自衛隊の炊き出し風景

 

バングラディッシュ人ボランティアによるカレーの炊き出し風景

 

4. 風評

また、パンばかりで食べられないんだけど、一度断ったら二度と配給が来なくなると信じている方がたくさんおられて(特に高齢者)、配給されたパンを大きな袋に詰め込んで見えないところに置いている方が多かったです。このような風評も改善すべきことですね。

 

5. 口腔ケアー

また、歯の具合が悪く食事が出来ない人たちもいましたが、命に関係ないと言って我慢されています。そろそろ口腔ケアーの需要も出て来ていると思います。

6.

大きな問題が一つありました。下水道が詰まっているので、ラーメンなどカップ麺の汁は捨てるところが無く、「全飲み」しなければなりません。血圧の高い人は要注意です。

 

<子供達>

こんな時でも、子供達は不元気です。この子供達の未来のためにも、我々は復興に向けて全力を尽くそう、そう思いました。

校庭で遊ぶ子供達

 

<避難所のインフラなど>

1. 電気と水道と手洗い場

電気○、水道×、です。校内は下水管がつまりすべてのトイレ、手洗い場が使用不能です。

鹿妻小学校の入り口

 

2. 電話

携帯電話の移動中継基地が来ていて、docomoとsoftbankの電波状況は良好でした。また、無料の優先電車が設置されています。

携帯電話の移動中継所

 

無料の公衆電話

 

3. シャワー

アメリカ陸軍からシャワールームが提供されています。しかし、床はビニールマットで、足がべちゃべちゃ。アメリカ人は気にしないんだろうけど、日本人には簀の子がほしいな、という感想が聞かれました。それからお湯の温度が一定ではなく、時々水が出てくるようで、アメリカ軍人はこれも気にしないようですが、日本人からはちょっとつらいという感想がありました。

 

着替えスペースから見たシャワールーム。シャワールームは10個くらいあります。

簡易シャワールーム内の洗面所

 

4. トイレ

簡易トイレは校庭にたくさん設置されていますが、中が狭くて足腰の悪い老人には危険、夜は暗くて恐い、という意見が避難所の方々から聞かれました。

仮設トイレの清掃のためにバケツリレーをしています。トイレはかなり狭く、膝の悪い方には辛いだろうなと思いました。

 

5. 衣服

不定期ですが、ボランティアの方やどこかの会社の方がトラックで靴や毛布等を配給しに来ます。

衣料品の配給の様子。

 

<掲示板>

校舎内の掲示板には安否を知らせたり問うたりする伝言に加えて、いろんな方々の励ましの手紙が啓示されています。これは兵庫県の妻鹿(めが)(鹿妻:かづまの反対です)という地名に住んでいらっしゃる方からの励ましの手紙です。「地名、そして神戸の地震の経験もあって人ごととは思えない、頑張ってほしい」という励ましの手紙です。また、地元の方のエッセイと思いますが、イラスト入りで、暖かいメッセージを合計10シリーズで書いておられる方があり、とても勇気づけられました。

姫路市飾磨区妻鹿にお住まいの方からの励ましの手紙。

 

その10まであるエッセイ風のメッセージ。

 

 

<心の問題>

今でも母親を捜し続ける小学生に会いました。「お母さんがおらん。」と言って避難所を出て行った少年(小学校3−4年生くらい?)が夕方戻って来て「お水下さい。お母さん、おらん。」と思い詰めた、とても不安そうな表情をして来ました。また、子供を亡くした母親の怪我の処置もしました。最初は元気にお話しておられましたが、ご自分が助かった時の話になった時に、「あたしはどこかに足がついたんだ。娘も助かったよ。でも、お兄ちゃんだめだった。捕まれって言ったんだけど、だめだった。」と息子さんが流された時の話を泣きながらされました。阪神淡路大震災の時にも経験しましたが、愛する人をなくす悲しみは本当に辛いです。とにかくいっぱい話を聞いてあげることが必要と思います。心のケアーの需要が高いと思います。

 

最近は何でも自粛ムードですが、避難所では少し違います。助け合いの中で人と人とのふれあいに感謝し、前に向かって進もうという風潮を感じました。そんななかで、天気のいい夕方の風景をバックに、アメリカ陸軍の軍人さん達が夕方ブラックコンテンポラリーやラップを流しながらダンスを披露し始めました。そのうち自衛隊の人たちや被災者の方も合流して、観客も増えて、いろんな理由でここに来た人たちみんなが仲間だ、前へ進もうという気概を感じました。自粛ばかりじゃだめですね。

<アメリカ陸軍と自衛隊と避難の方のダンス>

 

<司令塔のこと>

DMAT出動から兵庫医大救護班Bの派遣まで、司令本部の仕事をした訳ですが、この司令塔と言うのは救命救急センター長&教室の主任教授となって初めて経験しましたが、やってみて初めてわかる大変さでした(もちろん前線で傷病者を治療する医療者が大きな責任を伴う大変な仕事をしていることは当然ですが)。特に最初の救護班(A班)を出した時は、情報が無い、または間違っていて(政府が情報コントロールをしていたか、情報収集が出来ていなかったのだと思います)、混乱を極めました。しかも時間が無い。病院長以下中枢幹部や事務方と私は、隊員の安全と移動経路の確保ために、病院にずっと篭城して情報収集と各機関への交渉、そして隊員への連絡などに奔走していました。まるで自己って電池がなくなったアポロ13号を地球に帰還させる映画さながらの緊迫した後継でした。電波が届かない地区で移動する兵庫医大チーム車は月の裏側のポロ13号のようだったし、司令室では限られた時間で情報収集とアイデアを出して行くところも同じでした。今回は、特に、情報収集と整理、移動の確保には管理課の事務方々が本当に大活躍でした。お疲れさまでした。

不夜城の管理課

<まとめ>

この大災害で日本は大きな危機に直面していますが、避難所で走り回る子供達やダンスを披露するアメリカ兵達のように、まず元気でいることが大切だと思いました。そして、救急医療や災害医療に対する需要と期待をひしひしと感じています。兵庫医大だけじゃなく、多くの仲間達と協力して、被災地の方々の再興を全力で支え、この難局を乗り越えるために全力を尽くします。

このHPをお読みの皆さん、私たちに聞きたいことがあれば、何でも情報提供致します。どうぞ遠慮なくご連絡下さい。

 

研修医の節目の日

 

3月31日は研修医の先生達のローテーションが一斉に変わる節目の日です。明日からは1年目の先生方は初期研修2年目、2年目の先生方はそれぞれ希望する専門診療科へ入局していきます。2年目の研修でも、またどの専門科に進んでも、生命の救済・維持が達成されなければ医療は成り立ちません。きっと救命救急センターでの研修はこれからの長い医者人生で大いに役立つことでしょう。皆さんの益々のご発展を願ってやみません。それから、当科は診療のみならず医局のリビングルームも24時間営業です。いつでもおいしい御飯やおやつがあります。いつでも遊びに来て下さい。

最後の別れを惜しむ(?)

新体制ー補足

 

きしんさんのブログの補足になりますが、昨日から、当科のレジデント2年目のF先生は神戸大学外科に出向、そして、新しく5名の方々が救命救急センターに来てくれました。外科のYI先生は神戸大学肝胆膵外科から、整形外科のI先生が愛媛大学整形外科から、小児科のN先生は兵庫医大小児科から、来てくれました。3年目のJ先生は米国医師免許試験にも合格し、来年にはアメリカに行ってしまうでしょうけど、それまで当科で全身管理を学びます。そして同じく3年目のM先生は、ゆくゆくは精神科を目指すものの、まずは全身を診ることができるgeneral physicianとなるために当科に来てくれました。診療の責任体制も少し衣替えして、新しい門出を迎えた気分です。頑張りましょう。

新メンバーです。

SSCG&SCCM報告 後半

<報告7>橋本篤徳助教のご発表:ポスター会場

 

ポスター会場は、サンディエゴコンベンションセンター2階の巨大なホールで行われました。ポスター番号は1025もありますから、これと同じ数のプレゼンテーションがあるとうことですね。一人約3分で話をします。半分以上がアメリカからの演題で、国外勢ではシンガポールなど英語圏の国が多く、彼らは英語のプレゼンテーションには何のストレスもなさそうです。当科の発表者の橋本篤徳先生は日頃から英語が大嫌いと公言しており、外国では出歩く事無くホテルに引きこもる事で有名です。どうなる事かと気をもんでいたら、なんと原稿なしでペラペラと説明し出し、質問には鞄から用意していた写真を取り出して追加説明するという丁寧ぶり!(写真)なんや、しゃべれるやん!実は子供の時から英会話を無理矢理習わされて以来強烈なアレルギー反応を示しているだけのことらしい。今度からは一人で行ってもらおう!

発表前夜の打ち合わせ:しかめっ面の橋本先生とすっかりお気楽なジョージ先生 

発表前夜の打ち合わせ:すっかりご機嫌の布施先生とジョージ先生と頭を抱える橋本先生 

ポスター会場の様子

橋本先生、英語で語る!

発表後に個別質問に答える橋本先生(右端)。 

ポスター前で記念撮影。

 

<報告8>サンディエゴ・メディカルセンター見学

 

昨年のAcute Care Surgery研究会に講演に来られたサンディエゴ・メディカルセンターの外傷外科のRaul Coimbra教授がセンター内の見学ツアーを組んで下さいました。案内役は女性の外傷外科医Jeanne Lee先生です。

US San Diego Medical Centerのエントランス. 日差しが明るい!

UCSD Medical Centerの入り口の看板。

 案内役の外傷外科医Jeanne Lee先生。

ERはICUのすぐ横にあり、急変してもICUに連れて行けるとおっしゃっていましたが、ここでは開胸や開腹ができず、必要な場合は手術室に運ぶそうです。意外に日本よりも動線が悪そうです。でも、レントゲン装置がついてて、これは便利ですね。

UCSD Medical CenterのER

熱傷センターやICU、手術室等を見学させて頂きました。手術予定は廊下にぶら下がったホワイトボードにマジックで書き込んでいます。結構アナログなんですね。でも、やっぱりこれが楽ちんでわかりやすいですね。

手術室の壁にぶら下がったホワイトボードにマジックで手術予定を書き込んでいる。結構アナログ。

 小児の熱傷センターでは、処置をするのは処置部屋だけ、病室では絶対に痛い思いをさせないようにして、病室は安全で心休まるところであると安心させることを徹底しているようです。また、子供の心のケアーをする専属のとても明るい女性スタッフもいました。

 

 小児用熱傷処置室のダクト

そしてシミュレーション室。アメリカといえども、外傷症例は少なく、研修医がローテーション中に重度の外傷に遭遇しない事もよくあるとか。そこで、この人形です。最近日本で見かける人形もよく出来ていますが、これは凄かった。声を出したり、感謝したりは当たり前ですが、皮膚の色、指のチアノーゼなども再現し、数々のケース(ストーリー)がマック上(やっぱりマックがいいね!)で動くソフトで選択したりモディファイしたり出来て、これなら本物の症例を相手に治療している臨床感が出そうです。

 

そして、ツアーの後に、2週間に一度のMortality& Morbidity Conferenceに参加させて頂きました。症例は4例で1症例30分。中堅の強面のドクター(うちで言えば、熱血漢の山田太平先生のような感じ)が、症例を提示して、ステップごとに研修医に問いかけて答えを誘導するという方式。頸に横方向からピストルで撃たれた若い女性の症例で、来院時のvitalはstable。弾は右の頚部から入って左の鎖骨あたりにあります。レントゲン写真を提示しながら「次にする事は?」という怖い先輩の問いかけに、若い研修医達の声もだんだん小さくなって行きます。そうするとCoimbra教授が、”Hey, John, Speak Up!!”と活を入れて行きます。そうすると、なんとうちの研修医の岩野仁香先生が、”ガストログラフィン”と言います。”Bingo!”との声がスタッフから漏れました。レントゲン写真をよくよく見ると、弾の回りにair像がぽつぽつとあります。これが消化管、この場合は食道を損傷している重要なサインだとか。僕も知りませんでした。さすがサンディエゴで研修していた岩野先生!かっこ良かった!

 

 M & M Conferenceの様子。

  最後に記念撮影。

 

<読んで下さった皆さんへ>

今回もとても充実したSCCMでした。我々は臨床だけじゃなくて、研究レベルも世界標準でやって、世界の舞台で活躍する医師を応援しています。興味のある方はいつでも遊びに来て下さい。

 

ジョージ先生でした。

SSCG&SCCM報告 前半

 <報告1>サンディエゴに到着!:1/14(金)

 

関西空港からサンフランシスコ経由でサンディエゴに入りました。空港の中で既に感じていた事ですが、とにかく爽やか!空気が澄んでいる!日差しが明るい。それから、タクシーの人も道行く人も、いつも微笑んでいるし、のんびりしていて、話し方もゆっくりで、気が長くて、何を聞いてもとても親切なのです。私がかつて3年間住んでいた東海岸は、空気が淀んでいて、人はいつも怒っているようで、せわしなく動き回り、まくしたててしゃべり、気が短く、何を聞いても不親切、って言ってる訳ではありません、念のため。

今回の同行者は、抄録がアクセプトされて発表を控えた橋本篤徳助教、当科の後期研修医の布施知佐香先生(今年から神戸大学外科にローテトします)、4月から1年間当科と循環器内科で研修する岩野仁香先生、そして岩津加由子秘書。橋本先生は大の英語嫌い。対して、岩野先生は関西医大の学生時代に休学してここサンディエゴメディカルセンターで研修していましたし、来年アメリカのレジデントに入る予定(未定=目標!!)で、岩津さんは昨年までニューヨークの学校の学生でしたので、お二人とも英語がとても達者です。岩津さんは私の出身医局である神戸大学外科の先輩のお嬢さんで小学校1年生から知っているのです。大きくなったな〜。そうそう、アメリカに行く時は推薦状も書いたんですよ。

 

サンディエゴの情報をwebから取ってきました。(http://www.geocities.jp/ca_karin/sozai/sandiego2.gif) 

サンディエゴは、カリフォルニア州の最南端です。

  • 下にはメキシコの国境があります。サンディエゴに隣接している
  • メキシコの都市は、「ティファナ」です。
  • ラスベガスまでは、車で約5~6時間です。
  • L.A.空港までは、約2時間です。

(全てフリーフェイ利用の場合。あくまでも、『約』です。)

年間を通して温暖でドライな気候が心地よく、太平洋沿いに南北に連なる市街に暮らす
  人々は海と親しんでいます。人口120万、州内で2番目、全米で6番目の大都市です。 
アメリカ海軍太平洋戦艦隊の重要拠点として、多くの軍関係者、家族が住んでいます。
余暇と言えばサーフィンやヨット、ボートなどのマリンスポーツが定番で、ビーチ
やマリーナでは、輝く太陽の下、海の恵みを満喫する人々でいつも賑わっています。
ヨット・レースの世界最高峰アメリカズ・カップも1月から5月にかけてここで開催
されます。 

 

 

<報告2>Surviving Sepsis Campaign Meeting報告:1/15(日)

 

今回の渡米の目的の一つはSurviving Sepsis Campaign Guidelines Meetingへの出席です。平澤博之先生(千葉大学名誉教授)の御厚意で昨年より日本集中治療医学会の代表メンバーにさせてもらっています。現在使われている2008年度改訂版を改訂する作業中で、2011年(今年)の11月にはweb上で、2012年の1月には紙面で公開する目標を立てて会議が進んでいます。全部でGroup A〜Fの6グループに分かれてそれぞれガイドラインのいくつかの項目を担当します。私は平澤博之先生や相川直樹先生とともにGroup E –Metabolic/Otherに所属しています。前回の2010年10月10日にバルセロナで行われた全体会議以降、グループメンバー間でメール上ディスカッションを進めて来ました。とは言っても、Charlie Sprung先生がドラフトを作成し、みんながそれに意見を述べるという形式で、metabolic groupのプレゼンテーションスライドも作成して下さいました。私にしてみれば「おんぶにだっこ」の気分で申し訳なかったです。

 

<各グループの担当項目と代表者>

•Group A – Initial Resuscitation, Fluid Therapy, Vasopressors and Inotropes

•Djillali Annane

• 

•Group B –Infection and Infection Related Issues(Diagnosis, Antibiotic Therapy, Source Control, Selective Decontamination)

•Steven Opal

• 

•Group C –Adjunctive Therapy (Steroids, Recombinant Human APC, Blood Product Administration)

•Konrad Reinhart

• 

•Group D –  Sepsis-induced ALI/ARDS, Sedation/Analgesia, Delerium, Neuromuscular Blockade.

•Jonathan Sevransky

• 

•Group E –Metabolic/Other (Glucose Control, Nutrition, Renal Replacement , Bicarbonate Therapy, Deep Vein Thrombosis and Stress Ulcer Prophylaxis, Consideration of Limitation of Support)

•Charlie Sprung

• 

•Group F –Pediatric Considerations

•Joe Carcillo

 

さて、全体Meetingは、朝8時から始まります。前日に渡米したばかりで時差が17時間ですから日本では今から寝る時間ですが、もともと緊急手術などで不規則な生活をしているからか時差はまったく感じず、とても元気でした。いや、むしろハイテンションだったかも?10分前に会場に行くと、会場前にコーヒーやパンが置いてあり、いくつかをとってテーブルへ。テーブルは四角に並べられ、お互いに顔を見合わせる形で会議が始まりました。 

 

会議の様子. 円状に囲んでディスカッションします。マイクを持って歩いているのが委員長のDellinger先生です。

 

委員長のPhillip Dellinger先生が病院長をされているCooper University Hospitalは、私が留学していたUMDNJ-Robert Wood Johnson Medical Schoolの付属病院の一つで、New JerseyのCamdenにあります。治安の悪いところで、この病院にローテーションする研修医が「different world」と言って恐れていました。私のボス、Stephen F. Lowry先生はNew Brunswickの本院の病院長であり、仲がいいので、私も仲間に入れてもらっています(たぶん)。いつも朗らかで、議論が白熱してもさっと話をまとめたり、昨年の会議では、御飯の後眠たくなったからと言って、何名かの委員と一緒に腕立て伏せを始めたり、とてもいい人で、すばらしいムードメーカーです。また、(後で書きますが)電話参加のSprung先生から電話がかかってくる約束の時間をとても気にされていて、その前の討議が時間通り終わるように一生懸命巻いておられました。ホームルームの司会をする学級委員長っていう感じですね。

 

さて、会議は、各グループ長がプレゼンテーションをし、他のグループのメンバーが意見を言うという形式です。Metabolic groupリーダーのCharlie Sprung先生はあいにく出席できず、電話での参加となりました。電話の音はマイクロフォンで拾ったり(図2)、Charlie Sprung先生が途中で居なくなって、(おそらく)秘書さんが代わりに応答したり、システムがアナログでほのぼの感が漂っていました。

図2. マイクでCharlie Sprung先生の電話の声を拾っています。

  

我々のMetabolic groupの担当項目は表1の通りで、グループメンバー一人につき2つまたは3つの項目を割り当てられています。Charlie Sprung先生がまず血糖管理について2008年以降の新しいstudyとmeta analysisをまとめられ、メール上で意見を聞くというスタイルで準備が進み、今回の会議では血糖管理の項目のみの報告となりました。方法はMedline、Pubmed、Cochrane Libraryで(SEPSIS OR SEVERE SEPSIS OR SEPTIC SHOCK OR SEPTICEMIA) AND (TOPIC TERMS)で文献を検索し、Pubmed: 643文献、Cochrane Library: 23文献、Embase: 306文献がヒットしました。この中にはICU患者を対象にした多施設共同前向き研究(NICE-SUGAR、VISEP、GLUCONTROL、COIITSS study) と2008年のSSCG以降のmeta-analyses (Wiener JAMA 2008;300:933; Griesdale CMAJ 2009;180:821、Friedrich Critical Care 2010;14:324)も入っています。Gradepro analysisを用いて文献に重み付けをして行きます。まだ結論を出す段階ではありませんが、おそらく現行のSSCGよりも高い血糖値を含むレンジを示す内容になりそうです。それから、Jean-Louis Vincent先生が、血糖値の振幅幅と予後の関連を報告した江木盛時先生(岡山大学)のデータに言及され、体を揺らしながら、「血糖値のswingが重要だ!」と強調されていました。江木先生、若いのに凄いですね

 

表2. Metabolic groupのメンバー表

•Naoki Aikawa- Deep vein thrombosis, Bicarbonate therapy, Glucose control

•Derek Angus- Nutrition, Glucose control, Renal replacement

•Hiroyuki Hirasawa-  Renal replacement, Nutrition, Stress ulcer prophylaxis,

•Ruth Kleinpell- End of life limitations (including palliative care and communication), Nutrition, Renal replacement

•Joji Kotani- Glucose control, Nutrition, Deep vein thrombosis,

•Flavia Machado- Renal replacement, Glucose control, Bicarbonate therapy

•Rui Moreno- Deep vein thrombosis, End of life limitations, Stress ulcer prophylaxis,

•Mark Rosen- Stress ulcer prophylaxis, Deep vein thrombosis, End of life limitations

•Sean Townsend- Stress ulcer prophylaxis, Glucose control, Bicarbonate therapy

•Charles Sprung – all of the above categories.

 

 

栄養管理を含む他の項目はまだ十分にまとまっておらず、今回は発表には至りませんでしたが、栄養管理についての議論を紹介します。今回の改訂版SSCG2011で特筆すべきは、Dellinger先生の意向により、初期24時間の治療に焦点を絞ったガイドラインにすることになっています。そこで、24時間以内の栄養管理のエビデンスって何だ?ってことになりまして、Derek Angus先生があげた表3の4項目で文献検索を進めつつあります。どの項目も有効性を示す臨床的な多施設共同前向き研究が無いことから、推奨されない方向にありますが、1.に関しては禁忌ではないというくらいのニュアンスは残るかもしれません。それから、敗血症に基づく急性肺障害(ALI/ARDS)の項目で、魚油と抗酸化物質を配合した経腸栄養剤の効果を示した3つの研究がありますので、私は少なくともこれらに言及した方がいいのではないかと意見を述べましたら、検討するとの事でした。

 

表3. 栄養管理に関する検討項目
(24時間以内)

 

•24〜48時間以内の栄養投与の開始

•免疫修飾栄養素の投与

•早期栄養投与の投与経路:経静脈か経腸か?

•経腸栄養を行う場合の栄養チューブの留置場所:胃内留置でもいいか、幽門輪を超えるべきか?

 

ちなみにお昼ご飯も会場前のオープンスペースでブッフェスタイルの食事を取りました。 

会議室前に並べられたお昼御飯。

 

このような感じで、朝8時から午後3時過ぎまでずっと会議が続きまして、もちろんずっと英語ですのでとても疲れました。しかし、平澤先生と相川先生は流暢に意見を述べられ、日本の敗血症研究を世界に発信されて来ただけの語学力と風格と場の空気を読む力に感嘆致しました。さすがです。 

 

<報告3>Society of Critical Care Medicine meeting:栄養関係の報告(1/18(火)〜)

 

期間を通じて栄養関係の教育セッションは以下の3つでした。

  1. Breakfast Symposium: Nutrition in the ICU: Early Goal-Directed Therapy Is Key – Moderator: Ainsley MALONE
  2. Gastrointestinal Motility: Let’s “Gut”Moving – Moderator: Robert MacLAREN
  3. Nutrition Buffet: What’s on the Menu?- Moderator: Marion F. WINKLER

Protocols in the ICU – Marion F. WINKLER

 

1. の内容を少し説明します。セッションは朝6時半から8時です。眠い目をこすりつつ会場に向かうと、すでに多くの人たちでにぎわっていました。 

 

Breakfast Symposium: Nutrition in the ICU: Early Goal-Directed Therapy Is Keyの写真

会場の前にはコーヒーやパンが並べてあり、朝食にありつけます。

会場前で朝ご飯にありつける。

 

それにしても朝が早い!せっかくサンディエゴに来ているのに、夜、呑みに行ったりしないのでしょうか?

 

さて、最初のCharles W. VAN WAY, III先生のお話は

  1. 低栄養、慢性疾患、急性炎症それぞれによる異栄養状態の違いと急性疾患による栄養状態の悪化はICUでは日常的に見られる事、
  2. それ故にゴールを設定した栄養管理が大切である事、
  3. 重症患者の必要カロリー量の決定方法、
  4. 安全な静脈栄養の処方箋

次のAinsley MALONE先生は

  1. 栄養投与量の不足が在院日数、感染性合併症や死亡率の上昇と相関すること、
  2. 関節熱量計や公式を用いた必要カロリーの計算方法、
  3. 蛋白投与が生体機能の維持に重要である事、これは特に肥満患者に低栄養管理をする場合に大切であること、など

最後に、Jay M. MIRTALLO先生は静脈栄養がテーマで、

  1. 5〜6日以上経口または経腸栄養ができない重症患者には静脈栄養を開始すべき、
  2. 静脈栄養の合併症を極力減らすために、経腸栄養の不足分だけを補う、肥満患者には低栄養管理を考慮する事、
  3. 大豆油ベースの脂肪乳剤の投与を1週間は避けること(脂肪乳剤が免疫力を落とすと述べておられましたがほんとかな?)、
  4. 血糖管理をしっかりやる事、
  5. カテーテル感染の防止、
  6. 投与忘れの防止のためのマルチチャンバーバッグ(キット製品)の使用の有用性、など

をお話されていました。あまり新しい事はなかったものの、研修医の先生や栄養を知らない先生にはとてもわかりやすいレビューなのでしょう。

 

<報告4>CELEBRATE SCCM’S 40TH ANNIVERSARY

 

SSCG meetingのあった1/15(土)の夜に、SCCM学会40回を記念するパーティがサンディエゴの海に浮かぶ空母ミッドウェイ博物館の中で行われました。さすがアメリカ!軍まで学問に協力してくれるんですね。 

学会パンフレットのパーティー案内の写真。軍艦です。

パーティーの会場に戦闘機があります。 

 人があふれるパーティー会場に戦闘機が見えます。 

小児部門のリーダーのJoe Carcillo先生とその奥さん?

 

左から岩野仁香先生、秘書の岩津加由子さん。お二人とも英語がぺらぺらです。

パーティー会場で会った日本人の先生方と。

 

そしてそのあと会場であった先生方とダウンタウンの日本風創作料理の店NOBUへ移動しました。1990年代に料理の鉄人に出てた日本料理の鉄人のお店です。世界中にチェーン店があります。ニューヨークのお店には留学中に一回行ったことがありますが、おいしいというより美しいという感じですね。

 

NOBUの入り口。

日本医大の松野先生と名古屋大学の松田教授。

お店の前で記念撮影。

 

<報告5>アメリカで仕事をしている日本人集中治療医の飲み会

 

ミネソタ大学の永松聡一郎先生を中心に毎年SCCM meetingに際して、アメリカで活躍している、または帰国した日本人の集中治療医たちとその友達の会です。今年は、サンディエゴのダウンタウンのおしゃれなイタリアンのお店でした。学閥を超えて、地域を越えて、人種を超えて(?)、飲めや歌えやの会となり、どんどん仲良くなりました。

 

日本人集中治療医のパーティーの様子。立って挨拶しているのがミネソタ大学の永松先生。

 

<報告6>Abbot Nutrition Forum

 

会場はサンディエゴのダウンタウンから見える島にあるHotel del Coronadoでした。演者は、山梨大学の救急・集中治療医学の松田兼一教授、Alessandro Pontes-Arruda先生(Fernades Tavora Hospital, Brazil)アルギニンで有名なPaul E. Wischmeyer先生(University of Colorado, US)でした。松田先生は日本で行った人工呼吸器装着された重症敗血症症例を対象にしたOxepa(魚油と抗酸化剤配合)の多施設共同研究の結果を報告され、Pontes-Arruda先生もOxepaの臨床試験の結果を中心にお話しされ、最後に特別講演としてWischmeyer先生が重症患者の代謝栄養管理のup to dateな学術情報をお話されました。勉強が終わったらパーティーです。Pontes-Arruda先生とはこれで4回目の食事会で、また一緒に写真を撮って頂きました。逢うたびに大きくなって行くのがとても心配です。Wischmeyer先生は初対面でしたが、とても明るく快活でエネルギッシュな先生で、仕事の話だけじゃなくて、まあ、いろんな話をして盛り上がりました。気が合う人です。

右から、名古屋大学の松田直之教授、Pontes-Arruda教授、そして私。 

Paul E. Wischmeyer先生

  

第12回 高田塾

済生会前総長の斉藤洋一先生に、神戸大学第一外科同門会でお会いした時に、「日本テレビの報道局解説委員の高田和男さんが中心となって、政治家やマスコミ、行政の方々がいろんな時事問題を議論する『高田塾』なるものがあり、是非とも参加して君の意見を国の真ん中で述べて来るべし。」とのミッションを頂き、1月24日に行ってきました。この会は、登録メンバーの紹介がないと行けない仕組みになっているようです。日本プレスセンターの9階の日本記者クラブ会場にはぎっしりと机と椅子が並べられ、司会は日本テレビの井田由美さん。とっても賢そうでした。後でお話しましたら、大阪の枚方出身で四条畷高校だそうで、ひらパーのスケートリンクの話で盛り上がりました。会場には他に民主党の仁木博文先生、検察OBの大沢弁護士もお見かけしました。仁木博文先生は、東大を出てから徳島大学医学部を卒業された産婦人科医で、私の地元である宝塚市民病院でも勤務されていたそうで、こちらも懐かしい話で盛り上がりました。世間はあちこちでつながっていますね。

さて、当日のお題は、『小児救急医療』。東京都大田区で東邦大学小児科と医師会が一緒になって10年以上かかって、『大学病院併設型小児医療施設』を立ち上げて今はうまくいっているそうです。演者は東邦大学医療センター大森病院小児科の松裏裕行准教授、そして医師会側は蒲田医師会の南雲晃彦先生。お二人の話をまとめるとこんな感じです。

平日夜間や休日に大学病院の外来を解放して、開業されている小児科の先生方に大学で1次救急患者の診療をして頂く。もちろん、検査もできるし、大学のコメディカルもサポートします。開業の先生方は大学の非常勤医師となってもらって、東邦大学医療事故保険に入って頂き、医療事故や訴訟の場合も大学として対応する。さらに、緊急処置が必要である場合に同じ建物の中に居る大学の当直小児科医がすぐに対応する。これは開業医の先生方にとっても非常に安心出来るそうです。どこかに転送するのではなく、同じ建物の中というのがポイントです。

最初にこの構想の実現に向けて動き出した頃は南雲先生と神川晃先生のお二人だけで、医師会の誰もが非協力的だったそうです。そりゃあそうですよね。自分の診察が終わってから夜中や休日にも働くなんて、かなり無理がかかりますから。しかし、最後に南雲先生・神川先生が「じゃあ、俺たち二人だけでやる!」と言ったら、「そこまで言うならしようがない。」というふうに、お二人の情熱にだんだんと医師会の先生方も協力してくれるようになったそうです。でも、ようやくシステムが始動する直前に南雲先生は脳梗塞で倒れたそうです。まるで映画みたいですね。幸い、お見かけしたところ大きな麻痺もなさそうでしたので、ほっと致しました。。。そして、松裏先生のいらっしゃる東邦大学小児科の医師達も、以前は1次、2次の救急患者の対応のために3次の救急患者に対応出来ず、心も体も疲弊して行く状況でしたが、今は比較的2~3次の救急患者に集中出来るようになってストレスも減ったようです。そして、そのお陰なのか、医局員は確か25名いるとおっしゃっていたように思います。凄いですね。

それでも、参加している開業医の先生方のアンケートでは、1~3ヶ月に一回がちょうどいい、いや、限界という答えが大半でした。参加医師の中には80歳を超えておられる方が2名いらっしゃる等、高齢化もその理由なのかもしれません。

私は、会場から意見を述べさせて頂き、医師の方々の努力もさることながら、医療を受ける側が、限りある医療資源を大切に使うこと、はっきり言えばコンビニ受診と言われるような、不必要な時間外の受診や救急車の利用を控えて頂くための啓蒙活動も重要であることを訴えましたが、この点に関しても(今日は話さなかったが)しっかりやっているとのお返事でした。

今回はとても熱い議論がかわされていたので、いい写真が撮れませんでしたが、自席から前を見た写真を掲載します。

 

自席から見た司会者。東邦大学の炭山先生の横で見えないのが井田由美さん。