はっしーEmperor in 17th WCDEM Beijing 

5月31日~6月3日に中国は北京で開催されていた17th WCDEM(World Congress on Disaster and Emergency Medicine)に橋本先生が発表されたので現地レポートを報告します

橋本先生の発表Titleは

「The difference between Triage and START that are applied to train derailment」

具体的な内容は割愛しますが、JR脱線事故で当センターが行ったトリアージはSTART法に比べ短時間で行うことができ、正確さにおいても有意差がないというものです。今後のトリアージ法についてより迅速で適切な方法を考えるべきというものです

他国からの出席者から大変興味深いと評価をいただきました

帰国したらこの発表を海外の学術雑誌に投稿する予定です 

列車脱線事故におけるトリアージ法とSTART法の相違点についてまとめて発表されました

あいていた時間を利用して近くの故宮を観光しました

スケール大きさに驚きました

そしてLast Emperorとともにはっしーもemperorになりました

はっしーお疲れさんです

また故宮近くの屋台で見つけました

羊の腎臓らしいです。これを揚げるそうです。これはtryできませんでした。

WCDEMでその他興味深い発表については後日UPする予定です

今回ご指導いただいたじょーじ教授、ご自分の熱傷学会発表と日程が重なり多忙の中英訳をしていただいたじんか先生

その他救命センターを守ってくれている留守番のスタッフの先生方に深くお礼申し上げます

勝手にGolden Trio

新体制になって2か月が経ちました

金曜日はいつもは私と小児科からこられたメリー先生と3年目で来年米国で活躍予定のじんか先生の3人+研修医での当直が多いのです

4月当初は2人のDrの力量が未知数(失礼)でどうなるんだろう?場合によっては一人で全部やらなあかんのか?という不安もありました

が、蓋をあければすっとこどっこい そんな不安もどこ吹く風

メリー先生もじんか先生も、どんな患者が搬送されても怯みません

彼女たちは並列(初療室に同時に2人の重症患者を診ること)を嫌がらないし、むしろガンガン受け入れるのです

そんなお二人の美女Powerをもらいここまでなんとかこれています

金曜日は深夜・未明・早朝に多くの重症患者が搬送されることが多いですが

ほんまに3人の絶妙なチームワークで救命センター金曜日当直を担っています

不思議なことにこの3人の1人がいないときの当直はどうもしっくりいかないのです

これ、私だけでなくメリー先生とじんか先生も同じことを思ったそうです

これかもGolden Trioで患者さんを救っていきましょうね!

追伸

写真の真ん中の「どや顔」してはるのがじんか先生で、その右がメリー先生です

なんとなく3人の力加減?がわかっていただけるとおもいます

 

 

 

 

 

橋本篤徳先生、読売新聞全国版に出る!!

2005年4月25日。兵庫医科大学は救命救急センターが中心となって、JR福知山線脱線事故の負傷者113名を受け入れました。月曜日の朝、夜勤明けの看護師さんもポリクリの学生さんも、補助婦の方々も、みんな総出で負傷者の救命に必死でした。当院は救命救急センターが中心となって、全病院での災害訓練を3年間行ったところだったというのが幸いで、これは訓練ではないかと思えるほど、訓練通りに治療を行うことができました。結果的にですが、日本の都市災害で初めて病院トリアージを行い、39名の入院、緊急手術11件を行いました。そして、全ての映像とデータを詳細に残し、本邦災害医療においてきわめて貴重かつ重要なデータを残すことが出来たと思います。その中でも、最も大きな問題の一つとしてあげられたのが、短時間の間に多くの負傷者が一斉に搬送されたため、トリアージオフィサーはいわゆるSTART法の施行を行う事は不可能で、1例約10秒以内という、ほとんど直感で黒、赤、黄色、緑を判断せざるを得なかったことです。しかし、意外にもこの直感がSTART法よりも実際の重症度を反映していることが事後検証でわかりました。今回はこのデータを解析・評価した橋本篤徳先生が読売新聞、全国版の一面で取り上げられました。しかも、夏までに論文にするという約束を紙上でしてくれました!!(絶対やで!)今週の北京でのthe 17th World Congress on Disaster and Emergency Medicineでも発表します。

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この記事・写真等は、読売新聞社の許諾を得て転載しています

読売新聞社の著作物についてはこちらを参照ください

http://www.yomiuri.co.jp/policy/copyright/

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ついでに…

 

さっきのブログで学生さんとの趣味の世界をお伝えしましたので、今度は仕事仲間との別バーションをお見せします。

 

2009年の教授就任パーティーでは、変わった事をやったらという理事長のお勧めもあり、ギター&歌で医局の結束を示そうということになりました。私がギター、歌とギターが当科のくぼちん、ドラムは僕が研修医の頃ポリクリで回って来たM先生(今は立派な外傷外科医)、それから路上ライブで知り合った人たちでやりました。映像は小学生の息子が撮ってくれたので画面が揺れてます。すいません。くぼちんの替え歌「今夜はジョージコタニの一世一代のパーティーだぜ〜」に呼応して「なに、それ???」という撮影者=息子のMCが気になります。

 

教授就任パーティー:この時はギターを弾きました。気分良かった。

 

 

ついでに、とっても古い自作曲のライブ版です。演奏は、ギターが医学部同級生で外科医になったS先生、ベースが私、残りの音源はYAMAHA QX1(シーケンサー)(古い!)で打ち込んで作りました。曲は単調ですぐ出来ましたが、打ち込みが大変!!論文一本書くくらい頭脳労働しました。

私(ベース)とS君(先生)(ギター)とYAMAHA QX1

 

 

いつも忙しい救命救急センターですが、仕事の合間にも心をリリースする時間が必要ですね。

学生さんと遊ぶ。

昨年から大学の軽音楽部の副顧問にしてもらいました。学生活動の監督が名目ですが、実は一緒に遊ぶのが目的です。昨年4月の神戸のライブハウス、11月の学園祭での野外ステージで学生さん&初期研修医先生たちと遊んでもらいました。楽しかった!

 

新歓ライブ(歌をかき消すように弾きっぱなしのギターが私。アドリブで好きなようにかぶらせてもらいました。出だしこけましたが、後半気持ちよかった!シモさん:ヴォーカル&ギター、トムさん:ベース(リズムがかっこいい!)、トクさん:ドラム)

http://www.youtube.com/watch?v=gZaxI3ytqNg

 

学園祭(今回はベースを弾きました。寒かった!)

 

今年も出ますよ!

いってらっしゃい

わがセンターの重鎮?であるO先生が5月からK大学の准教授としてご栄転になるのを祝して

昨日壮行会を盛大に行いました

O先生といえば物静かでキレタことがない温厚なイメージの「大人キャラ」の先生で、スタッフでは兄貴分的存在でしょうか?

昨日も主賓のあいさつでははにかんでいはりました

そして花束贈呈と弟分のOSK先生からgolfボールの贈呈です

presenterはじん先生

おそらく、いや間違いなくうれしいpresentのはずなのにいつものcoolキャラを通すのはさすが!

ますますご活躍されることだとおもいます

今後も非常勤講師として、また研究も継続して当センターにこられるということで

さよならではなくいってらっしゃいですね

東日本大地震:宮城県石巻医療救護活動報告

 

3月11日に東日本巨大地震が起こってからの兵庫医大の医療活動を簡単にまとめると以下のようです。詳細は兵庫医大HPをご参照下さい。

http://www.hosp.hyo-med.ac.jp/news_detail.php?uid=news940e7857a07c4efc10e9aaedb148ef78

 

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1)兵庫医大DMAT :3/12-3/14

岩手県花巻空港から羽田まで自衛隊機で6名の重症患者の搬送に従事。

 

2)兵庫医大救護医療チームA班:3/16出発-3/20帰院

福島県郡山避難所で医療活動

→兵庫県が宮城県へ救護班を派遣する決定通知あり

→兵庫医大は兵庫県先遣隊として急遽、宮城県石巻市へ移動

→石巻市の鹿妻小学校避難所で医療活動を開始

 

3)兵庫医大救護医療チームB班:3/18出発-3/21帰院

石巻市の鹿妻小学校避難所で医療活動

 

4)兵庫医大救護医療チームC班+小谷(私):4/4-4/9

石巻市の鹿妻小学校避難所で医療活動

→大きな余震により、兵庫県の後継医療班が到着出来ず、予定を一日延長し、昨日無事に帰還。

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私は、震災後今回の派遣まで“派遣する側”、すなわち大学病院に残って司令本部の業務をしていましたが、ようやく落ち着いて来たので私も現地に入って問題点を洗い出すことにしました。

兵庫医大救護班Cのメンバー(鹿妻小学校校庭で)

 

<救護所>

1.疾患内容

救護所を受診される人たちの症状は、嘔吐、下痢、感冒様症状が主体です。

 

慢性疾患の薬剤が流されてない人も多く来られましが、今では薬剤は宮城県庁に言えば薬剤は次の日には入手可能です。

 

急性期の外傷は処置も終わって抜糸等も終わっており、創部の感染層や俗層の処置などが処置の中心。しかし、そろそろ家の片づけを始める人たちが多くなり、それに伴う小さな外傷が増えそうな気配です(釘を踏んだ、手を切った、など)。縫合処置に必要な滅菌済み手術器具が無く、今後持ち込む必要があると思います。

救命救急センターの井上朋子医師の診察風景

 

舛谷隊長の診察風景

 

2. ちょっとした工夫

診療所内の薬局スペースは薬剤が平坦に並べられていたのですが、ちょっとした工夫でこんなにすっきりしました。

 

薬局スペース改変前

 

薬局スペース改変後

 

<避難所>

1.比較的元気な人が多い

避難所となっている鹿妻小学校に避難されている方々は比較的元気で、寝たきりの人はほとんどいません。逆に言えば、丘や建物の上階に登れなかったいわゆる弱者の方々は津波にのまれたということなのでしょうか。

避難所回りの途中で配給されたジュースを頂きました。皆さん、比較的元気です。

 

2. 高血圧が多い

救護所には来ない人たちでも、このように訪問すると、「血圧測って」とおっしゃる方が多かったです。ちゃんといつもの降圧薬を服用されていて、血圧のコントロールも良かった人たちでも、上が180や200mmHgもある人が複数いらっしゃいました。ストレスや配給に寄る偏った食事が原因でしょうか。また、もともとコントロール良好だっただけに、救護所でも薬だけをもらっているようで、このように避難所の出前診療も必要と感じました。

血圧測定中。このかたは190mmHgありました。

 

3. 感染症の心配

昼の避難所は、家の片付け等で出払っており、ほとんど人が居ません。しかし、夜はこのような大きな空間に数百人の人が寝泊まりするので、風邪やインフルエンザ等の感染症の蔓延が心配です。

一番大きな避難スペースである体育館

4. ペット部屋

小学校の1教室がペットとともに避難されてきた人たちの部屋になっています。やはりペットを家族の一員と感じておられる方々には必要な場所だと感じました。また、避難所でペット部屋というのは日本の災害では初めてだと、どなたかがおっしゃっていました。

ペット部屋の様子

 

<食事>

1. 差し入れ:パンとおにぎりが中心→便秘になる、高齢者にパンは無理

神戸の地震の時に私も感じたことですが、差し入れとして配給される食事内容がパンとおにぎり中心です。最初の3日間は食べるものがほとんどなくて、パンやおにぎりが届けられた時はとても嬉しかったのですが、そのあともやっぱりパン・おにぎり中心の配給が続き、これらを食べ続けると便秘になってしまいます。実際多くの方が便秘と腹部膨満感を訴えておられました。また、高齢者の方にパンは無理があります。飲み込めません。

 

2.食べたいもの

そこで、避難所の方々や救護所を受診される方々に今欲しいものは何かという調査をしています。まだ集計出来ていませんが、印象として、野菜、果物、刺身(高齢の方々)、肉(若者)の希望が強かったです。私も神戸の震災時にパンとおにぎりで便秘になってしまい(最初の3日間は嬉しかったのですが)、タクアンが配給されたときはとても嬉しかったですね。野菜の漬け物などがいいかもしれません。

3. 炊き出し

こんな中でボランティアや自衛隊の方々による炊き出しは、暖かくて、野菜があって、のどごしがよくで、とても評判が良かったです。もちろん我々は持参の食料を食べましたが、一度だけ、自衛隊の方に「毒見です(味見じゃない)」と言って一杯頂きました。とてもおいしかったです。味付けは特に決まったものはなく、”心意気”で決めるそうで、調味料を手で掴んで入れて行き、毒見(味見?)しながら調理されていました。

 

自衛隊の炊き出し風景

 

バングラディッシュ人ボランティアによるカレーの炊き出し風景

 

4. 風評

また、パンばかりで食べられないんだけど、一度断ったら二度と配給が来なくなると信じている方がたくさんおられて(特に高齢者)、配給されたパンを大きな袋に詰め込んで見えないところに置いている方が多かったです。このような風評も改善すべきことですね。

 

5. 口腔ケアー

また、歯の具合が悪く食事が出来ない人たちもいましたが、命に関係ないと言って我慢されています。そろそろ口腔ケアーの需要も出て来ていると思います。

6.

大きな問題が一つありました。下水道が詰まっているので、ラーメンなどカップ麺の汁は捨てるところが無く、「全飲み」しなければなりません。血圧の高い人は要注意です。

 

<子供達>

こんな時でも、子供達は不元気です。この子供達の未来のためにも、我々は復興に向けて全力を尽くそう、そう思いました。

校庭で遊ぶ子供達

 

<避難所のインフラなど>

1. 電気と水道と手洗い場

電気○、水道×、です。校内は下水管がつまりすべてのトイレ、手洗い場が使用不能です。

鹿妻小学校の入り口

 

2. 電話

携帯電話の移動中継基地が来ていて、docomoとsoftbankの電波状況は良好でした。また、無料の優先電車が設置されています。

携帯電話の移動中継所

 

無料の公衆電話

 

3. シャワー

アメリカ陸軍からシャワールームが提供されています。しかし、床はビニールマットで、足がべちゃべちゃ。アメリカ人は気にしないんだろうけど、日本人には簀の子がほしいな、という感想が聞かれました。それからお湯の温度が一定ではなく、時々水が出てくるようで、アメリカ軍人はこれも気にしないようですが、日本人からはちょっとつらいという感想がありました。

 

着替えスペースから見たシャワールーム。シャワールームは10個くらいあります。

簡易シャワールーム内の洗面所

 

4. トイレ

簡易トイレは校庭にたくさん設置されていますが、中が狭くて足腰の悪い老人には危険、夜は暗くて恐い、という意見が避難所の方々から聞かれました。

仮設トイレの清掃のためにバケツリレーをしています。トイレはかなり狭く、膝の悪い方には辛いだろうなと思いました。

 

5. 衣服

不定期ですが、ボランティアの方やどこかの会社の方がトラックで靴や毛布等を配給しに来ます。

衣料品の配給の様子。

 

<掲示板>

校舎内の掲示板には安否を知らせたり問うたりする伝言に加えて、いろんな方々の励ましの手紙が啓示されています。これは兵庫県の妻鹿(めが)(鹿妻:かづまの反対です)という地名に住んでいらっしゃる方からの励ましの手紙です。「地名、そして神戸の地震の経験もあって人ごととは思えない、頑張ってほしい」という励ましの手紙です。また、地元の方のエッセイと思いますが、イラスト入りで、暖かいメッセージを合計10シリーズで書いておられる方があり、とても勇気づけられました。

姫路市飾磨区妻鹿にお住まいの方からの励ましの手紙。

 

その10まであるエッセイ風のメッセージ。

 

 

<心の問題>

今でも母親を捜し続ける小学生に会いました。「お母さんがおらん。」と言って避難所を出て行った少年(小学校3−4年生くらい?)が夕方戻って来て「お水下さい。お母さん、おらん。」と思い詰めた、とても不安そうな表情をして来ました。また、子供を亡くした母親の怪我の処置もしました。最初は元気にお話しておられましたが、ご自分が助かった時の話になった時に、「あたしはどこかに足がついたんだ。娘も助かったよ。でも、お兄ちゃんだめだった。捕まれって言ったんだけど、だめだった。」と息子さんが流された時の話を泣きながらされました。阪神淡路大震災の時にも経験しましたが、愛する人をなくす悲しみは本当に辛いです。とにかくいっぱい話を聞いてあげることが必要と思います。心のケアーの需要が高いと思います。

 

最近は何でも自粛ムードですが、避難所では少し違います。助け合いの中で人と人とのふれあいに感謝し、前に向かって進もうという風潮を感じました。そんななかで、天気のいい夕方の風景をバックに、アメリカ陸軍の軍人さん達が夕方ブラックコンテンポラリーやラップを流しながらダンスを披露し始めました。そのうち自衛隊の人たちや被災者の方も合流して、観客も増えて、いろんな理由でここに来た人たちみんなが仲間だ、前へ進もうという気概を感じました。自粛ばかりじゃだめですね。

<アメリカ陸軍と自衛隊と避難の方のダンス>

 

<司令塔のこと>

DMAT出動から兵庫医大救護班Bの派遣まで、司令本部の仕事をした訳ですが、この司令塔と言うのは救命救急センター長&教室の主任教授となって初めて経験しましたが、やってみて初めてわかる大変さでした(もちろん前線で傷病者を治療する医療者が大きな責任を伴う大変な仕事をしていることは当然ですが)。特に最初の救護班(A班)を出した時は、情報が無い、または間違っていて(政府が情報コントロールをしていたか、情報収集が出来ていなかったのだと思います)、混乱を極めました。しかも時間が無い。病院長以下中枢幹部や事務方と私は、隊員の安全と移動経路の確保ために、病院にずっと篭城して情報収集と各機関への交渉、そして隊員への連絡などに奔走していました。まるで自己って電池がなくなったアポロ13号を地球に帰還させる映画さながらの緊迫した後継でした。電波が届かない地区で移動する兵庫医大チーム車は月の裏側のポロ13号のようだったし、司令室では限られた時間で情報収集とアイデアを出して行くところも同じでした。今回は、特に、情報収集と整理、移動の確保には管理課の事務方々が本当に大活躍でした。お疲れさまでした。

不夜城の管理課

<まとめ>

この大災害で日本は大きな危機に直面していますが、避難所で走り回る子供達やダンスを披露するアメリカ兵達のように、まず元気でいることが大切だと思いました。そして、救急医療や災害医療に対する需要と期待をひしひしと感じています。兵庫医大だけじゃなく、多くの仲間達と協力して、被災地の方々の再興を全力で支え、この難局を乗り越えるために全力を尽くします。

このHPをお読みの皆さん、私たちに聞きたいことがあれば、何でも情報提供致します。どうぞ遠慮なくご連絡下さい。

 

研修医の節目の日

 

3月31日は研修医の先生達のローテーションが一斉に変わる節目の日です。明日からは1年目の先生方は初期研修2年目、2年目の先生方はそれぞれ希望する専門診療科へ入局していきます。2年目の研修でも、またどの専門科に進んでも、生命の救済・維持が達成されなければ医療は成り立ちません。きっと救命救急センターでの研修はこれからの長い医者人生で大いに役立つことでしょう。皆さんの益々のご発展を願ってやみません。それから、当科は診療のみならず医局のリビングルームも24時間営業です。いつでもおいしい御飯やおやつがあります。いつでも遊びに来て下さい。

最後の別れを惜しむ(?)

新体制ー補足

 

きしんさんのブログの補足になりますが、昨日から、当科のレジデント2年目のF先生は神戸大学外科に出向、そして、新しく5名の方々が救命救急センターに来てくれました。外科のYI先生は神戸大学肝胆膵外科から、整形外科のI先生が愛媛大学整形外科から、小児科のN先生は兵庫医大小児科から、来てくれました。3年目のJ先生は米国医師免許試験にも合格し、来年にはアメリカに行ってしまうでしょうけど、それまで当科で全身管理を学びます。そして同じく3年目のM先生は、ゆくゆくは精神科を目指すものの、まずは全身を診ることができるgeneral physicianとなるために当科に来てくれました。診療の責任体制も少し衣替えして、新しい門出を迎えた気分です。頑張りましょう。

新メンバーです。

新体制

今日は4月1日、医局も新体制となります。医局長にMパパ、病棟医長にはっしー、外来医長にたいぺい先生が就任され、じょーじFamilyを引っ張ってくれる予定です。そしてベテランのYI先生(外科)、I先生(整形外科)、7年目のN先生(小児科)という即戦力と3年目のM先生とJ先生が加わり、まさに老若男女(一部失礼ならすんません)、役者はそろいました

そして研修医さんたちがオリエンテーション中なので少ないスタッフで食事をとる時間もなく従事しています

朝から多発外傷の緊急オペ、化膿性脊椎炎や多臓器不全となっている重症心不全(低拍出症候群:LOS)、脳梗塞と

患者さんの多様な疾患に関わらず受け入れています

今日からまた力を合わせて頑張りましょう One For ALL, ALL For One