第20回阪神ISLS
上田副センター長が朝日新聞に取材されました。
くまもと
休みを利用して4月の熊本地震の際に活動した避難所だった江南中学校 健軍東小学校 熊本県立第二高校と被害が大きかったため病院避難を決定し多くの入院中の患者さんを他病院に転院するのを手伝わせていただいたくまもと森都病院、南阿蘇村白水庁舎を訪れてきました。 写真はくまもと森都病院の当時の搬送トリアージに遂力されたコアスタッフの副院長と師長さんらです。 当時はDMAT側と病院側の窓口(連携役)を固定し混乱している状況でもなるべく混乱を避けようとチームビルディングをしたように覚えています。 当時の活動終了後、当時のことやその後のことの話ができないこともあり、4ヶ月経って気になっていたので活動した場所を振り返る目的で熊本にいきました。 くまもと森都病院では当時の被害状況や患者さんらへの対応について詳しく聞くことができました。屋上の貯水タンクが壊れて病棟は水浸しになり、壁にいろんなところに亀裂も入り水は使えない状態で、入院患者足の踏み場もないくらいぎっしりと外来待合室の床に並べ集めて管理せざるおえない状況だったとのことです。また、人海戦術で患者さんをおぶって1階まで搬送したり、排せつやおむつ交換ではプライバシー保護のために看護師さんやスタッフが人間カーテンとなってプライバシーを少しでも維持しようとしたこと、などなど今だから聞けることがたくさん聞けました。また、DMATなど災害医療チームが入ったときに介入された医療機関側はDMATが何をしてくれるのか?どうコミュニケーションをとればいいか最初は困惑したことなども聞けました。この点は災害医療の今後の課題だし、 内外で検討し活かしていきたいものです。当時活動していて感じたのは熊本のコミュニティ、繋がりの強さでした。ここの病院もチームワークは抜群でFor PATIENTSが一貫していました。避難所でもリーダーを中心としたネットワークや協力体制が作られていました。マニュアル厳守ばかりではできない大切な人としての原点を熊本ではみることができたように思います