カンボジア訪問記 その6
7月15日
濃厚なスケジュールで時間経過が早い。最終日だ。ジョージ先生、少しは良くなったと本人は言うが顔はまだ青白い。とりあえずベッドの上で座るリハビリから始めていただく。
今日の朝食も昨日のリクエストによりおかゆと揚げパン。ようやく食べれるようになったジョージ先生と一緒に美味しく頂く。
M氏が指導しているという兵士たちの消防訓練の成果を見せていただくことにした。
日本から寄贈された消防車(給水車・ポンプ車・指令車)救急車を使っての消火救助訓練だ。消火水栓などこの国にはなく給水車からの水をポンプ車、小型ポンプを用いて中継し放水する。機敏な日本の消防隊の動きには程遠いが彼らの熱意や意気込みは十分伝わってきた。
再びフンセン病院を見つつ、今後の具体策の検討。日本の常識の通用しないかけ離れた環境の中でどういった支援ができるか、課題は山積みである。またカンボジアのDr.が来日して研修することも考える必要がある。
さて、少し予定があいたので、実弾射撃をさせてくれるという。例によってM氏は少年のようにはしゃいでいる。午前中の座位のリハビリをクリアしたジョージ先生もようやく我々と合流した。さすがM氏は構える姿も様になっているが、病み上がりのジョージ先生をはじめ我々は鉄砲に撃たれているような形相であった。私にはよく分からないが3種類ほどの銃を撃たせてもらった。
さて、再び軍の高官達との会談。色々見てきたカンボジアそしてその医療の感想を率直に述べた。今後どのような形でフンセン病院そしてこの国の医療を「支援」できるかを真剣に考えなければならない。我々に対する彼らの期待の大きさを思い知らされ会は終了した。
これで今回の旅の行事はすべて終了した。本当に皆さんに親切にしていただいたので名残惜しい。荒れたトラフィックに揉まれ空港へと向かう。見覚えのある建物の前に到着した。
そう、初日に不安のなかジョージ先生にようやくめぐり合えたあの建物だ。一般向けターミナルとは別の建物でVIP専用ゲートであると今更教えられる。ジョージ先生はタイでの学会後の参加のためチケットの都合上、帰りもタイ経由となる。我々より1時間後の出発で我々より20分早く関空に到着する。寂しがりやの彼は先ほどからしきりに一緒に帰りたいとぼやいている。しかし、ジョージ先生、帰国に耐えうるまで回復してくれて本当によかったと思う。私とU先生、つまり下々の我々はベトナム経由で10時間かけて帰る。ちなみにこの航空チケットは大阪―札幌の片道正規運賃とほぼ同額である。航空会社も儲からない仕事だ。なんと、みんなで飛行機のタラップの下まで見送ってくれる。一応国際線なんですが・・。軍関係者というだけで何でもありだ。一般乗客の搭乗はまだ始まっていない。離陸し眼下に広がるプノンペンの町明かりが雲に隠れると同時に私の意識もなくなった。
今回の旅は何もかもが新鮮だった。我々救急医の日常も決して平凡なものではないが、日本の普通の生活から比べると驚きの連続であった。日本の常識、地球の歩き方の情報、それらが全く通用しない世界で今後我々はどういった協力ができるのか、また何を求められているのかを十分に見極める必要がある。