カンボジア訪問記 その2

 

7月13日 午前

軍の施設だけあって、何の合図か早朝から何度もラッパの音が響き渡る。全く熟睡感のない目覚めであった。昨日の氷や生フルーツが気になったが我が腸たちは今のところ健全なようだ。

外を眺めると、兵隊が歩き回り、芝生に鶏が数羽いた。今日はどんな一日になるのであろうか。不安の方が大きい。朝食とのこと。普段朝を食べる習慣のない私であるがたくさん頂いてしまった。ちなみに宿泊しているゲストハウス内にダイニングがあり、きれいに並べられた食器に給仕の兵士が次々と食べ物を運んできてくれる。なんと高待遇。どれもおいしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

一息ついたところでM氏の車で出かける。昨日は暗くて分からなかった街の様子が新鮮だ。

凸凹の道路の脇には商店というか露店が連なり、パンとかフルーツとか色んなものが積み上げられている。トラフィックに秩序は全くなく車線はない。列を成さない車列にバイクやトゥクトゥク、ちゃりんこ、歩行者が入り乱れている。バイクは2人乗りは当たり前で(M氏の話ではタクシーらしい)4人乗っているのもある。ヘルメットをかぶっていない人も多い。普段大阪で運転している私でさえ、ヒヤリハットが30秒毎に訪れる感じ。「ここでは轢いてしまうつもりでないと運転できません。」とM氏。横断歩道もなくどこでも人やちゃりが横断している。ふと聞き覚えのあるサイレンの音が聞こえた。振り返ると日産エルグランドの救急車が走っていた。この国を走る救急車の大半が日本からの寄贈だという。サイレンを鳴らしていてもあまりに多いトラフィックがぐちゃぐちゃでスピードは全く出ていない。

 

 

 

 

 

 

 

冷や冷やし続けること30分、カルメット国立病院に到着した。この病院はここプノンペンでは最も進んだ病院だそうで1台のMRIと2台のCT(うち1台は64列MDCT)があるという。プノンペンでこれらの画像機器があるのはここだけらしい。ジョージ先生持ち前の外交力により会合の場が用意されておりこの日は病院長、事務長、外科部長などが迎えてくれる。1時間ほどの会談のあと病院施設を見せていただいた。ちなみに病床数は340。150人の医師と400人のNs. ERに来院する患者(重症例)は1日に50人とのことだ。全体としての印象は意外と設備は整っていた。が、ごった返す初療室でとある男性は挿管されているものの呼吸器にはつながれず、明らかに下顎呼吸になっていた。傍らでうちわで患者を扇ぐ家族であろう女性の姿が印象的であった。この国では病院に来れない人、お金のない人は死んでいく。病院のスタッフは言い放った。ここでは日本の常識は全く通用しない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手術室を見せていただく。ちゃんと着替えてキャップマスクも着用する。手術室は4部屋。麻酔器も一応あるにはあったが。この病院の医師たちはクメール語とフランス語を話す。医学はフランスで学んでくる人が多いという。ホワイトボードの患者リストもフランス語で記入されていた。レントゲン室を見せてもらう。1993年のカンボジアと日本の協力を示すシールが貼られていた。機材はどれも古い。1台のCTは64列とのことで日本のものと遜色なかった。造影も出来るようで読影もきちんとされている様子であった。

この病院にはハートセンターなるものも併設されている。日本のものと遜色無い透視の機械があった。話によるとアブレーションも行っているという。しかし同様、お金のある人向けのようだ。この国には健康保険だけでなくいわゆるinsuranceという概念がない。車の保険も同様ですべて自費とのことだ。病院の駐車場には医師の車か患者の車か、ランドクルーザーやレクサスなど、高級車が多かった。