東日本大震災

東日本大地震:宮城県石巻医療救護活動報告

 

3月11日に東日本巨大地震が起こってからの兵庫医大の医療活動を簡単にまとめると以下のようです。詳細は兵庫医大HPをご参照下さい。

http://www.hosp.hyo-med.ac.jp/news_detail.php?uid=news940e7857a07c4efc10e9aaedb148ef78

 

*********************************************

1)兵庫医大DMAT :3/12-3/14

岩手県花巻空港から羽田まで自衛隊機で6名の重症患者の搬送に従事。

 

2)兵庫医大救護医療チームA班:3/16出発-3/20帰院

福島県郡山避難所で医療活動

→兵庫県が宮城県へ救護班を派遣する決定通知あり

→兵庫医大は兵庫県先遣隊として急遽、宮城県石巻市へ移動

→石巻市の鹿妻小学校避難所で医療活動を開始

 

3)兵庫医大救護医療チームB班:3/18出発-3/21帰院

石巻市の鹿妻小学校避難所で医療活動

 

4)兵庫医大救護医療チームC班+小谷(私):4/4-4/9

石巻市の鹿妻小学校避難所で医療活動

→大きな余震により、兵庫県の後継医療班が到着出来ず、予定を一日延長し、昨日無事に帰還。

*********************************************

 

私は、震災後今回の派遣まで“派遣する側”、すなわち大学病院に残って司令本部の業務をしていましたが、ようやく落ち着いて来たので私も現地に入って問題点を洗い出すことにしました。

兵庫医大救護班Cのメンバー(鹿妻小学校校庭で)

 

<救護所>

1.疾患内容

救護所を受診される人たちの症状は、嘔吐、下痢、感冒様症状が主体です。

 

慢性疾患の薬剤が流されてない人も多く来られましが、今では薬剤は宮城県庁に言えば薬剤は次の日には入手可能です。

 

急性期の外傷は処置も終わって抜糸等も終わっており、創部の感染層や俗層の処置などが処置の中心。しかし、そろそろ家の片づけを始める人たちが多くなり、それに伴う小さな外傷が増えそうな気配です(釘を踏んだ、手を切った、など)。縫合処置に必要な滅菌済み手術器具が無く、今後持ち込む必要があると思います。

救命救急センターの井上朋子医師の診察風景

 

舛谷隊長の診察風景

 

2. ちょっとした工夫

診療所内の薬局スペースは薬剤が平坦に並べられていたのですが、ちょっとした工夫でこんなにすっきりしました。

 

薬局スペース改変前

 

薬局スペース改変後

 

<避難所>

1.比較的元気な人が多い

避難所となっている鹿妻小学校に避難されている方々は比較的元気で、寝たきりの人はほとんどいません。逆に言えば、丘や建物の上階に登れなかったいわゆる弱者の方々は津波にのまれたということなのでしょうか。

避難所回りの途中で配給されたジュースを頂きました。皆さん、比較的元気です。

 

2. 高血圧が多い

救護所には来ない人たちでも、このように訪問すると、「血圧測って」とおっしゃる方が多かったです。ちゃんといつもの降圧薬を服用されていて、血圧のコントロールも良かった人たちでも、上が180や200mmHgもある人が複数いらっしゃいました。ストレスや配給に寄る偏った食事が原因でしょうか。また、もともとコントロール良好だっただけに、救護所でも薬だけをもらっているようで、このように避難所の出前診療も必要と感じました。

血圧測定中。このかたは190mmHgありました。

 

3. 感染症の心配

昼の避難所は、家の片付け等で出払っており、ほとんど人が居ません。しかし、夜はこのような大きな空間に数百人の人が寝泊まりするので、風邪やインフルエンザ等の感染症の蔓延が心配です。

一番大きな避難スペースである体育館

4. ペット部屋

小学校の1教室がペットとともに避難されてきた人たちの部屋になっています。やはりペットを家族の一員と感じておられる方々には必要な場所だと感じました。また、避難所でペット部屋というのは日本の災害では初めてだと、どなたかがおっしゃっていました。

ペット部屋の様子

 

<食事>

1. 差し入れ:パンとおにぎりが中心→便秘になる、高齢者にパンは無理

神戸の地震の時に私も感じたことですが、差し入れとして配給される食事内容がパンとおにぎり中心です。最初の3日間は食べるものがほとんどなくて、パンやおにぎりが届けられた時はとても嬉しかったのですが、そのあともやっぱりパン・おにぎり中心の配給が続き、これらを食べ続けると便秘になってしまいます。実際多くの方が便秘と腹部膨満感を訴えておられました。また、高齢者の方にパンは無理があります。飲み込めません。

 

2.食べたいもの

そこで、避難所の方々や救護所を受診される方々に今欲しいものは何かという調査をしています。まだ集計出来ていませんが、印象として、野菜、果物、刺身(高齢の方々)、肉(若者)の希望が強かったです。私も神戸の震災時にパンとおにぎりで便秘になってしまい(最初の3日間は嬉しかったのですが)、タクアンが配給されたときはとても嬉しかったですね。野菜の漬け物などがいいかもしれません。

3. 炊き出し

こんな中でボランティアや自衛隊の方々による炊き出しは、暖かくて、野菜があって、のどごしがよくで、とても評判が良かったです。もちろん我々は持参の食料を食べましたが、一度だけ、自衛隊の方に「毒見です(味見じゃない)」と言って一杯頂きました。とてもおいしかったです。味付けは特に決まったものはなく、”心意気”で決めるそうで、調味料を手で掴んで入れて行き、毒見(味見?)しながら調理されていました。

 

自衛隊の炊き出し風景

 

バングラディッシュ人ボランティアによるカレーの炊き出し風景

 

4. 風評

また、パンばかりで食べられないんだけど、一度断ったら二度と配給が来なくなると信じている方がたくさんおられて(特に高齢者)、配給されたパンを大きな袋に詰め込んで見えないところに置いている方が多かったです。このような風評も改善すべきことですね。

 

5. 口腔ケアー

また、歯の具合が悪く食事が出来ない人たちもいましたが、命に関係ないと言って我慢されています。そろそろ口腔ケアーの需要も出て来ていると思います。

6.

大きな問題が一つありました。下水道が詰まっているので、ラーメンなどカップ麺の汁は捨てるところが無く、「全飲み」しなければなりません。血圧の高い人は要注意です。

 

<子供達>

こんな時でも、子供達は不元気です。この子供達の未来のためにも、我々は復興に向けて全力を尽くそう、そう思いました。

校庭で遊ぶ子供達

 

<避難所のインフラなど>

1. 電気と水道と手洗い場

電気○、水道×、です。校内は下水管がつまりすべてのトイレ、手洗い場が使用不能です。

鹿妻小学校の入り口

 

2. 電話

携帯電話の移動中継基地が来ていて、docomoとsoftbankの電波状況は良好でした。また、無料の優先電車が設置されています。

携帯電話の移動中継所

 

無料の公衆電話

 

3. シャワー

アメリカ陸軍からシャワールームが提供されています。しかし、床はビニールマットで、足がべちゃべちゃ。アメリカ人は気にしないんだろうけど、日本人には簀の子がほしいな、という感想が聞かれました。それからお湯の温度が一定ではなく、時々水が出てくるようで、アメリカ軍人はこれも気にしないようですが、日本人からはちょっとつらいという感想がありました。

 

着替えスペースから見たシャワールーム。シャワールームは10個くらいあります。

簡易シャワールーム内の洗面所

 

4. トイレ

簡易トイレは校庭にたくさん設置されていますが、中が狭くて足腰の悪い老人には危険、夜は暗くて恐い、という意見が避難所の方々から聞かれました。

仮設トイレの清掃のためにバケツリレーをしています。トイレはかなり狭く、膝の悪い方には辛いだろうなと思いました。

 

5. 衣服

不定期ですが、ボランティアの方やどこかの会社の方がトラックで靴や毛布等を配給しに来ます。

衣料品の配給の様子。

 

<掲示板>

校舎内の掲示板には安否を知らせたり問うたりする伝言に加えて、いろんな方々の励ましの手紙が啓示されています。これは兵庫県の妻鹿(めが)(鹿妻:かづまの反対です)という地名に住んでいらっしゃる方からの励ましの手紙です。「地名、そして神戸の地震の経験もあって人ごととは思えない、頑張ってほしい」という励ましの手紙です。また、地元の方のエッセイと思いますが、イラスト入りで、暖かいメッセージを合計10シリーズで書いておられる方があり、とても勇気づけられました。

姫路市飾磨区妻鹿にお住まいの方からの励ましの手紙。

 

その10まであるエッセイ風のメッセージ。

 

 

<心の問題>

今でも母親を捜し続ける小学生に会いました。「お母さんがおらん。」と言って避難所を出て行った少年(小学校3−4年生くらい?)が夕方戻って来て「お水下さい。お母さん、おらん。」と思い詰めた、とても不安そうな表情をして来ました。また、子供を亡くした母親の怪我の処置もしました。最初は元気にお話しておられましたが、ご自分が助かった時の話になった時に、「あたしはどこかに足がついたんだ。娘も助かったよ。でも、お兄ちゃんだめだった。捕まれって言ったんだけど、だめだった。」と息子さんが流された時の話を泣きながらされました。阪神淡路大震災の時にも経験しましたが、愛する人をなくす悲しみは本当に辛いです。とにかくいっぱい話を聞いてあげることが必要と思います。心のケアーの需要が高いと思います。

 

最近は何でも自粛ムードですが、避難所では少し違います。助け合いの中で人と人とのふれあいに感謝し、前に向かって進もうという風潮を感じました。そんななかで、天気のいい夕方の風景をバックに、アメリカ陸軍の軍人さん達が夕方ブラックコンテンポラリーやラップを流しながらダンスを披露し始めました。そのうち自衛隊の人たちや被災者の方も合流して、観客も増えて、いろんな理由でここに来た人たちみんなが仲間だ、前へ進もうという気概を感じました。自粛ばかりじゃだめですね。

<アメリカ陸軍と自衛隊と避難の方のダンス>

 

<司令塔のこと>

DMAT出動から兵庫医大救護班Bの派遣まで、司令本部の仕事をした訳ですが、この司令塔と言うのは救命救急センター長&教室の主任教授となって初めて経験しましたが、やってみて初めてわかる大変さでした(もちろん前線で傷病者を治療する医療者が大きな責任を伴う大変な仕事をしていることは当然ですが)。特に最初の救護班(A班)を出した時は、情報が無い、または間違っていて(政府が情報コントロールをしていたか、情報収集が出来ていなかったのだと思います)、混乱を極めました。しかも時間が無い。病院長以下中枢幹部や事務方と私は、隊員の安全と移動経路の確保ために、病院にずっと篭城して情報収集と各機関への交渉、そして隊員への連絡などに奔走していました。まるで自己って電池がなくなったアポロ13号を地球に帰還させる映画さながらの緊迫した後継でした。電波が届かない地区で移動する兵庫医大チーム車は月の裏側のポロ13号のようだったし、司令室では限られた時間で情報収集とアイデアを出して行くところも同じでした。今回は、特に、情報収集と整理、移動の確保には管理課の事務方々が本当に大活躍でした。お疲れさまでした。

不夜城の管理課

<まとめ>

この大災害で日本は大きな危機に直面していますが、避難所で走り回る子供達やダンスを披露するアメリカ兵達のように、まず元気でいることが大切だと思いました。そして、救急医療や災害医療に対する需要と期待をひしひしと感じています。兵庫医大だけじゃなく、多くの仲間達と協力して、被災地の方々の再興を全力で支え、この難局を乗り越えるために全力を尽くします。

このHPをお読みの皆さん、私たちに聞きたいことがあれば、何でも情報提供致します。どうぞ遠慮なくご連絡下さい。