スタッフの雑感

じょーじ弾ける!

昨日学祭で軽音楽部の顧問をしているじょーじ先生が野外ステージに登場!

ステージ下から「じょーじ!」とか「かっこいい!」とか本人が調子づきそうな歓声が響きました

 

ローテ中の男前研修医H先生との演奏

男前は何をやっても男前やねんね

まあこういうステージに立つ若いフレキシブルな感性をもっているじょーじくんです

Blue Eyes

彼がやって来た日に初めてぶつけられた質問は「ヒロシマについて、お前はどう思ってんの?」だった。1ヶ月の短期とはいえ、彼の国からしてみればはるか東方、日出ずる国にまで留学しに来る奴の心意気は違う・・・とても感心した。

 

彼との英語を通じての会話は、意外にスムーズだった。11月の海外出張のために英会話を始めた成果が早くも出始めている。ボクって凄い。なんて思っていたのだけれど、現実はそう甘くない。米国留学で鍛えたのちも英会話に通い続けている英語ペラペラなジョージ先生があらかじめ彼に吹き込んでいたらしい。「あき先生は英語をあまり喋れないから、ゆっくり喋ってあげてね」と。でもそんな要求、いつまでも通用する訳がない。そこからは延々と、頭の中のペラペラな英和/和英辞典をひたすらめくり続けることを繰り返し・・・当直よりも疲れた(笑)。でも、こんな日常を繰り返していくと英語が苦にならなくなってしまうのだから恐ろしい。徐々に苦痛な時間は減っていった。でもそれは他のスタッフが彼に話しかけてくれたおかげだったからなのかも。

ある日の昼休憩、太平先生と布施先生が一緒に行くと言うので4人で近くのうどん屋に行った。もちろん彼にとって初めてのうどん。さらに自由に選べる天ぷら。太平先生は話してみたかったけれどもなかなか話す勇気がなくて、でも話してみたくて・・・などという聖子ちゃんの歌にでてくる乙女の様な心境だったそうだ。で、いざとなると「ヘイ!! プリーズ! チョイス! テンプ~ラ!!」と一生懸命話しかけてる。かわゆい。“THE救命の男”ってな感じで、見た目は熊そのものなのだけれども。で、彼は何を選ぶのだろう・・・一応お勧めを教えながら、天ぷらの材料について説明。オイラ一押しの“エビかき揚げ”にはエビとタマネギが入・・・って説明始めた時点で「オレ、タマネギあかんねん」と。タマネギはこれこれに入ってるから、もう自分で好きな物選んでよ!!と少し投げやりになりながら横から見てると、しっかり選んでましたよ・・・“ちくわ”と“たまご”と“かにかま”!!(爆笑) かにかまを選んだ理由を聞いてみたら・・・目が行ったから、とのこと。たしかに目は行く(笑)。かにかまは赤が映える(笑)。彼曰く「めちゃくちゃ美味かった、かにかま♡」とのこと。

 

そんな会話を楽しみながらよく見てみると、驚く事に彼は箸を使って食事をしたり日本語で挨拶したりしてる。学習能力が異常に高かった。そうとわかれば、要らん事を教えずにいられないのは万国共通。英語がまるっきりダメなため彼を避け続けている親分に向かって、「オヤブン。スゴ腕。スゴ腕。」とドヤ顔で右腕をポンポンと叩きながら話しかけさせた・・・のだけれども、親分は最後まで貝のままだった。

こんな変な日本語ばかり教えてるのオイラだけなんだろうな、と思ってたら主に彼の面倒を見てくれてた飯田先生はそれ以上に余計な事を教えていたようだ。ささやかなお別れ会をグループで催したのだけれども、酔っぱらった彼は飯田先生から教わった“成果”を思う存分披露していた。

日出ずる国にまで留学しに来て、彼は何を学んで帰ったのだろう・・・。まぁ、楽しそうだったから良いか(笑)。

 

 

Dear Lovro.

Did you enjoy the training and daily life in Japan?

We were so glad to see you and had a good time with you.

 We all have our fingers crossed for you in the distance.

Sincerely yours.

APEC活動報告

横浜で開催されているAPEC首脳会議の医療班として当センターDMATチームが参加しています

本日初日は朝7時からMTGでした

会場周辺の警備はかなり厳戒状態です

DMATの身分証に加え、APECで作成したIDカードを着用しなければなりません

今回はNBC(核・生物兵器・化学兵器)によるテロに備え

現地で待機していますが

何もおこらないことを祈っています

お別れ

3ヶ月おきにBabyちゃん達(研修医)が入れ替わる。

慣れてきた頃に、さみしい、さみしいお別れです。

彼らはお勉強で来ておりますが、こちらからすると立派な戦力!

お疲れさまと感謝のつもりでお食事会。

そこで、びっくり!!! 

なんと、Birthday present が準備されておりまして、結局こちらがねぎらわれた感いっぱい。

ちょっぴり申し訳なく思いつつ、非常に楽しいひとときを過ごさせていただきました。

ありがとうございます。

よおがんばった

また3カ月が過ぎました

研修医の先生のローテートが終わります

最初は

「大丈夫か?」

と指導側も心配になることがありましたが

3カ月経つと研修医全員が少し自信をつけたような

明らかにはじめと違う「いい顔」してるのがわかります

人にはペースや個性があって

技術や知識の習得が早い人もいれば、遅い人もいます

でも

それでいいんです!(ジエイ調で)

いつもおもうのですが研修医は、必ず少しでも確実に成長しています

でも基本は

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

ですよ

謙虚に、遇直にいい医師に成長していってください

 

指導医養成講習会

昨日から神戸市北区のスペースアルファに滞在して

指導医養成講習会のタスクとして参加しています

今回3回目の参加となり救命からはタスクでK先生

受講者としてO先生とH先生が参加しています

(若手の先生たち留守番させてごめんな~)

研修医に立派な医師に育ってもらうために、どのような目標をたて、どういう方法をとればいいか2日間にわたりグループに分かれて討議し、発表してもらいます

夕方になると皆さん疲労もピークに達しています

がんばってください

私たちタスクは前日より泊りこみ、受講する先生方が円滑に議論できるように準備をするのです。

いつも卒後臨床研修センターのスタッフの方には「今年はいかへんで」とおもっていても

粘られ結局今回で3回目の参加になります。彼女たちの粘りは学ぶべきでしょう

そして

いつも長崎からきてくださるコンサルタントのM先生と

呼吸器内科のK先生との写真です

K先生のプレゼンは何故かおもろいのです

うけを狙っているわけではないのですが、おもわず笑ってしまいます

そういう不思議な雰囲気を醸し出す先生です

そんなわけで今日は裏方に徹しています

研修医を育てるために指導医はこんなに苦労と努力をしているのです!

4年生診療実習(トリアージ)

 毎年恒例となりつつあるトリアージ実習。

「災害時のトリアージ」は最近TVの影響で市民権を得た感がありますが、実際に何をするのか知っている人はまだまだ少ないと思います。

そのさわりを経験するのがこの実習。3人一組(Dr、Ns、事務役)で各ブースを回り、スタート法でトリアージしていくというもの。

結構ディテールにもこだわっておりまして、一人一人の患者設定はモチロン、その患者設定に合わせてコラージュも経験できちゃう楽しい楽しい実習です。(この患者設定は多分毎回同じなのですが、コラージュは微妙にパワーアップしていってることに気づきました!今回は鉄パイプとか小道具まであったし)

初めての経験で緊張気味だった学生さん達もやっていくうちにスムーズに動けるようになり、各役の演技がどんどんうまくなっていくのは見ていても楽しかったです。

実際の災害では、今回の実習と同じようには行かないところもたくさんあるのですが、「こんなものか。」と経験するだけでも価値はあったと思います。

午後からは除洗のデモもあり、学生も代表でこの特殊スーツを身にまといます。

これが暑くて大変なのですが、なかなか経験できるものではないし、楽しかったでしょ??

4年生の半分の皆様、スタッフの方々、お疲れ様でした。

ちょっとでも、トリアージが記憶に残ってもらえるとうれしいです。

           (サンドイッチのみではちょっと腹もちが悪かったtera)

 

カンボジア訪問記 エピローグ

経済成長率が2桁を示すこの国には大変な活気があった。医療面だけでなく無限の可能性を感じずにはいれなかった。そして少なくとも今回我々が関わったカンボジアの人々は皆、温厚でいて日本そして日本人を慕ってくれていた。それはただ単に我々に期待しているという訳ではなく、現代の日本人が忘れかけている人の繋がりを大切にする気持ちであるように思えた。この短い期間でさえ我々が彼らから学んだこともとても多かったことに気気付かされた。

 

15日23時。ここはホーチミン空港のロビー。illyのカフェでパソコンを開いている。

私とU先生の下々二人はベトナム航空、ホーチミンで乗り換え、大阪に向かう。普段は好きな空港でのひと時であるが、極度の疲れでこの上ない苦痛である。起きる自信が無いので仮眠はやめておいた。異国の地に置き去りは御免だ。

帰ったら連日の当直が待っている。

カンボジアの医師も将来、過酷な労働をぼやくようになるのであろうか・・・。

カンボジア訪問記 その6

7月15日

濃厚なスケジュールで時間経過が早い。最終日だ。ジョージ先生、少しは良くなったと本人は言うが顔はまだ青白い。とりあえずベッドの上で座るリハビリから始めていただく。

今日の朝食も昨日のリクエストによりおかゆと揚げパン。ようやく食べれるようになったジョージ先生と一緒に美味しく頂く。

 

M氏が指導しているという兵士たちの消防訓練の成果を見せていただくことにした。

日本から寄贈された消防車(給水車・ポンプ車・指令車)救急車を使っての消火救助訓練だ。消火水栓などこの国にはなく給水車からの水をポンプ車、小型ポンプを用いて中継し放水する。機敏な日本の消防隊の動きには程遠いが彼らの熱意や意気込みは十分伝わってきた。

再びフンセン病院を見つつ、今後の具体策の検討。日本の常識の通用しないかけ離れた環境の中でどういった支援ができるか、課題は山積みである。またカンボジアのDr.が来日して研修することも考える必要がある。

 

さて、少し予定があいたので、実弾射撃をさせてくれるという。例によってM氏は少年のようにはしゃいでいる。午前中の座位のリハビリをクリアしたジョージ先生もようやく我々と合流した。さすがM氏は構える姿も様になっているが、病み上がりのジョージ先生をはじめ我々は鉄砲に撃たれているような形相であった。私にはよく分からないが3種類ほどの銃を撃たせてもらった。

 

さて、再び軍の高官達との会談。色々見てきたカンボジアそしてその医療の感想を率直に述べた。今後どのような形でフンセン病院そしてこの国の医療を「支援」できるかを真剣に考えなければならない。我々に対する彼らの期待の大きさを思い知らされ会は終了した。

 

これで今回の旅の行事はすべて終了した。本当に皆さんに親切にしていただいたので名残惜しい。荒れたトラフィックに揉まれ空港へと向かう。見覚えのある建物の前に到着した。

そう、初日に不安のなかジョージ先生にようやくめぐり合えたあの建物だ。一般向けターミナルとは別の建物でVIP専用ゲートであると今更教えられる。ジョージ先生はタイでの学会後の参加のためチケットの都合上、帰りもタイ経由となる。我々より1時間後の出発で我々より20分早く関空に到着する。寂しがりやの彼は先ほどからしきりに一緒に帰りたいとぼやいている。しかし、ジョージ先生、帰国に耐えうるまで回復してくれて本当によかったと思う。私とU先生、つまり下々の我々はベトナム経由で10時間かけて帰る。ちなみにこの航空チケットは大阪―札幌の片道正規運賃とほぼ同額である。航空会社も儲からない仕事だ。なんと、みんなで飛行機のタラップの下まで見送ってくれる。一応国際線なんですが・・。軍関係者というだけで何でもありだ。一般乗客の搭乗はまだ始まっていない。離陸し眼下に広がるプノンペンの町明かりが雲に隠れると同時に私の意識もなくなった。

 

今回の旅は何もかもが新鮮だった。我々救急医の日常も決して平凡なものではないが、日本の普通の生活から比べると驚きの連続であった。日本の常識、地球の歩き方の情報、それらが全く通用しない世界で今後我々はどういった協力ができるのか、また何を求められているのかを十分に見極める必要がある。

カンボジア訪問記 その5

7月14日 午後

基地へと戻り、ジョージ先生の寝室を覗くと朝出て行ったときとほぼ同様の姿勢で布団に包まっていた。体調は依然芳しくないようだ。これまでの報告をし、引き続き今日は休んでいただくことにした。

 

本日のディナーはジェネラルマオの歓迎接待。彼の私邸の向かいにあるカンボジア料理のお店。オープンスタイルのお店で隅っこではライブ演奏が程よいボリュームで行われている。少し離れたガゼボの円卓でジェネラル他、ベトナムの学者さんとやらも加わり総勢10人ほど。また例によって高そうなウィスキーが机の上においてある。乾杯のあとカンボジア料理の数々。どれもこれもおいしい。

しかしこのジェネラルのおじさんは飲ますのがとてもうまい。食事の最中でも頻繁に乾杯が行われ、コップを空けるように促される。ちなみに水割りにはなっているが、まめにウェイトレスが注ぎにきてダブルもしくはトリプルである。終盤には目の焦点が合わなくなってきた。

ところで、M氏はお世辞にも英語が上手とは言い難い。クメール語も一般の旅行者が出来る程度である。しかし日本語と単純な英単語を組み合わせた外国でよく耳にするいわゆる旅行者のおっさん英語でジェネラルと談笑している。ジェネラルがすごい人なのか、熱意と勢いでM氏の心が伝わっているのか、なんでここまで懇意にできるのであろうか。この謎は未だ不明である。M氏は「こころは言葉を越える」と言うが・・。偉大な男である。

さて、盛り上がった?夕食も終わりだ。飲みすぎで頭が痛い。今日もナイトクラブ行くだろと当たり前のように誘われたが、さすがに今日はクメール語講座を受ける気力も乏しく、ジョージ先生の看病をしなければならないという口実で丁重にお断りさせていただいた。

店を出るとジェネラルのお宅がすぐ目の前である。ちょっと寄っていくか?との問いに、なんとM氏は「私はコーヒーが飲みたい」と申し出た。なんと厚かましい男であろうか。浮き足立つM氏と緊張でやや固まった我々は分厚い門を通り抜けた。

まず目に入ったのは門脇に設置された巨大な発電機。ここカンボジアでは頻繁に停電が起こる。この家は停電知らず。ということだ。よく映画とかに出てくる迎賓館の貴賓室ような風景が目の前にある。中央にフルーツの盛られたテーブルがあり15人ほどが座れるであろうか、ソファーが囲んでいる。リビングにつながる各部屋は応接室、バーカウンターなどがあった。随所に置かれた調度品がすばらしかった。完全におのぼりさんになってしまった。促されるままソファーに座った。なんと既にM氏は主よりも先に座ってくつろいでいる。コーヒーと共にバナナとマンゴスチンを兵士が剥いてくれる。マンゴスチンは今まで食したものの中で最高の味がした。次々と色んなものが運ばれて来てエンドレスな感じであったので、そろそろ引き上げることにした。丁重にお礼を申し上げ、豪邸を後にする。玄関まで見送ってくださった。しかしこの国は貧富の差が著しい。

我々はM氏の車、エスコートのカボ大佐は別の車で出発した。道は分かるというM氏を我々は信じるほかなかったが、車はどんどん田舎道へと導かれていった。自分と別方向に発進した我々を心配したカボが携帯電話で連絡してきた。しかしそのうち知っているところに出てくるであろうという考えで、電話を切り、とりあえず車を走らせた。しかし一向に周囲の景色は変わらず、異国の地の中の異国であった。迷子になっているのは明らかであった。その状況を見透かしたかのように再びカボから電話が入る。車を止めてそこらへんにいる人に代われという。すぐに道端でたむろしていた一家を見つけ電話を代わった。カボがクメール語で状況を説明しているらしく、何事かと家の中から出てきた人たちも加わり10人くらいがいた。中には素っ裸の子供もいたが、痩せ型でおなかが出ているという飢餓体系なのが気になった。何を話したのかは定かでないが一同が笑い出した。どうやら相当遠くに来てしまっているらしい。彼らの身振り手振りとカボのガイドで再び走り出した。まもなく大通りに出た。看板もあり、何となく帰る方角が分かってきた。M氏もようやくなんとなく分かってきたようで、赤色灯をつけサイレンを鳴らして高速で走行する。そこから走ること約30分、ようやく基地に辿り着いた。

ベトナムにでも行ってしまうのではないかと多少スリリングであったが、無事に帰ってこれた。しばらくしてカボが様子を伺いに来た。すでに日付も変わった真夜中であったが、心配でしょうがなかったらしい。なんとホスピタリティ精神の優れた人なのであろうか。私とさほど歳は変わらず今はジェネラルの右腕庶務係であるが、カンボジアの将来を背負ってたつのは間違いないだろう。