久保山 一敏
ずっと救急・蘇生医療にたずさわってきた。
経験10年以上を経てやっと一人前かと思っていた矢先の95年に、阪神淡路大震災に被災し、自分の災害への無知・無力を痛感させられた。
そこで災害医療の勉強を始め、04年の台風23号と新潟県中越地震、さらにはインド洋大津波の医療支援に派遣され、05年のJR福知山線脱線事故では大学病院のトリアージオフィサーを務めることになった。
月並みを避けて選んだ進路だったが、20ウン年間の変化のめまぐるしさや業域拡大の度合いは、思慮の浅い若造の想像をはるかに超えていた。停滞している暇などない。
フランスの救急医療を視察に行ったとき聞いた、あるドクターの言葉が耳に残っている。
「パイオニアになりたくないか?」
ここにはそんなチャンスが、いくらでもころがっている。