岡本 彩那 医師

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子どもの頃からの夢を叶えて医学の道へ。研修医時代は、故郷の大阪から遠く離れた沖縄の一次から三次救急までを診れるERをやっている病院で研修してきました。この病院に移ってからは、専門分野を持つ先生方とチームで患者さんと向き合うようになり、自分の弱みと強みを改めて発見しつつある毎日です。

――眼科で働く母の影響で幼少期から医学の道を志す

pic_okamoto2幼稚園で「将来の夢」を書かされたとき、「医者になりたい」と書きました。それが、自分で覚えている中で、医者を志した一番初めの記憶です。当時、母が眼科の検査員をしていたことに影響を受けたのだと思います。
もちろん、幼い頃のことですから漠然とした夢でしたが、高校生になって真剣に進学先を決めることになっても、なれるものなら医者になりたいと思い続けていました。母が勤めていた診療所の先生がボランティアで海外にも行っておられると聞き、開業してボランティア活動にも参加できたらというイメージを持っていましたね。
 兵庫医大出身ですので卒業して大学に残る道もありましたが、眼科をメインに志望しつつも外科分野にも興味もありました。そこでまずは研修ではどちらにしろ全体を診れる力をつけるためにジェネラルに学べる市中の病院で働いてみたいと考えるようになりました。沖縄の病院に行くことになったのは、5回生のときの説明会で、沖縄の研修病院群の教育システムを聞き、救急に強い病院があると聞いたのがきっかけでした。

――沖縄での研修医時代

研修していた病院にはドクターヘリやドクターカーもやっている病院で、ERでは一次から三次まで上級医と相談しながら自分で診て自分で返せるというところでした。研修医1年目のときに、walk inでやってきた患者さんを診ていたのですが、同時に受けていた重症患者さんに気を取られているうちに急変してしまわれたんです。一緒に当直に入っていた上級医の先生が気が付いてくださって事なきを得たのですが、自分の初診での評価の甘さを痛感させられる出来事でした。
 そういう経験の一方で、救急で診た患者さんが元気になって通院してこられて、院内で声をかけてくださるときは、とても嬉しく励みになりましたね。

 

――チーム全体で患者さん一人ひとりと向き合う

2013年4月に兵庫医大病院に移ってきましたが、ここでは常にチーム単位で診療に当たっています。前の病院は、ERでは1~2人の上級医の指導のもと、基本的に一人で診ていましたし、病棟などの研修でもある程度は1人で(もちろん上級医にコンサルトしながらですが)やらせてもらっていたところもあったのですが、それに比べるとチーム内でもかなり密にディスカッションをしている印象があります。チームの中にもいろいろな専門を持つDrがいるので個々が専門性を生かして補い合っている雰囲気があります。上の先生から教わることが多いのはもちろんですが、たとえ同期であっても知識の違いがあり、自分の弱いところをカバーしてもらえる環境です。

 

――働き出してから内視鏡への興味も

pic_okamotoただ、忙しいのは忙しいので、休日をしっかり確保したい、自分の時間を追求したいという人には勧められません。私は休みの間も何かしら動いているタイプですし。
 自分が救急医に向いているかと問われると、知識も経験も不足しているし、冷静さも決断力もまだまだで向いていないとも思います。ですが、やり甲斐は感じています。元々消化器分野に興味があり、そちらに進もうかとしたんですが、せっかくいろいろなことを学んだのだから、すぐに特定の範囲に関心を絞ってしまうのは、もったいないかなぁ・・・とも。眼科が好きな気持ちは今でも変わりませんが、“将来の道”としてはあまり考えなくなりました。代わりに研修中から興味が沸いてきたのが内視鏡です。どんなに素晴らしい職場であっても、同じ環境にずっと身を置いているのはどうかと思うので、6年目ぐらいで外に出るチャンスがあれば消化器内科で修業できればと考えています。そしてここはそのような希望も言いやすい環境にあるかと思います。