尾迫 貴章 医師

尾迫 貴章

1998年に小児科医となり、2007年には自ら志願して、日本の小児救急のパイオニア的病院のひとつである静岡県立こども病院で、PICUの立ち上げに携わりました。静岡で身に付けた力を試してみたいと、兵庫県立こども病院に移りましたが、成人救急にも視野を広げたいとの思いが高まり、09年の秋から当センターの一員として働いています。

アンチ・スペシャリストの思いから「小児科」の道へ

pic_osakoどんな業種・職種にも、「スペシャリスト」を目指す方と、「ゼネラリスト」を目指す方とがいらっしゃると思います。医師の世界では、スペシャリスト志向が増えてきているようですが、私は今も昔もゼネラリスト派。外科と内科がわかれるだけでなく、たとえば「上部消化管が専門」、「肝臓の手術が自分の仕事」といったある分野の専門を極める医師はスペシャリストとして非常に重要な存在だと思いますが、私はこのような人間を臓器で分けて診療するやり方になじめなかったからです。そこで、あらゆる症状をトータルに受け持つことができる一般小児科へ。今にして思えば、もっと早くに小児救急集中治療の道に入っておけばよかったんですけれどね。

座学だけでは命は救えないと痛感し、PICUへの入局を志願

地元の病院に派遣される形で一般小児に携わっていたのですが、二次救急に携わりながら書籍や文献などにも目を通していたので、ある程度のノウハウは持っているつもりでいました。ところが、2005年頃、勤務先に心肺停止状態のお子さんが運ばれてきたとき、ほとんど何もできぬまま、亡くなってしまったことがあって・・・・・・。頭でわかっていても、瞬時の線引きができない自分、限界がどこなのか判断できない自分を知り、愕然としましたね。この出来事をきっかけに、チャンスがあれば救命救急の現場に立ちたいと具体的に考えるようになりました。
今でも日本には、本格的なPICU(Pediatric Intensive Care Unit)が数えるほどしかありませんが、長野でPICUを立ち上げられた先生が、2007年に静岡に新しいセンターをつくろうとしているという話を聞き、絶好の機会だと思ったんです。といっても、救急集中治療の経験は皆無でしたから、“ダメもと”で応募したところ、運よく採用していただけました。総勢14名のスタッフのうち、年齢は上から数えたほうが早かったですが、経験はもっとも浅く、仲間に支えられながら2年間を過ごしました。

成人救急を知ることで、より応用範囲の広い治療法を学びたい

一般の医局で当たる症例が、ある程度パターン化していることに比べ、救命救急の現場では、ひとつひとつが独特で、経験したことのない症例がほとんどです。だからといって、その処置までユニークで汎用性の低いものになってしまうと、次の事態に応用できません。静岡では、小児救急の先進国であるアメリカで学んだ医師の指導のもと、汎用性の高い医療を身に付けることができ、とても有益だったと思います。
さらに実践を積むべく、兵庫県立こども病院へと移ったのですが、経験を重ねるうちに、治療法の多くが大人の流用であることに気づいたのです。そこでゼネラリスト志向の私としては、成人の救急集中治療を経験して視野を広げたいと、当センターに移ってきました。

豊富なデータの蓄積と人間関係の良さは、チーム医療の大きな武器

pic_osako2まだ赴任して3ヶ月ですが、いろいろと勉強させてもらっています。これから成長していこうという小児と、寿命と闘っている大人とでは、生命力の大きさが違うので、同じ治療や投薬で思ったような効果が上がらず、とまどうことも多々あります。
ただ、当センターには、さまざまな患者さんを受け入れてきたことによる十分なデータの蓄積があるとこが心強いですね。また、診療の基準が明確になっており、スタッフが飾らない人ばかりで、私のような新メンバーでも、すぐにチーム医療の一員として溶け込むことができました。上の先生方とも普段から話す機会が多く、写真を前に予測をたてたり治療法をシミレーションしたりしています。
きつい職場と思い込んでおられる方も少なくないでしょうが、オンとオフの切り替えをつければ問題ありません。まだまだ日本には小児救急の拠点が足りませんから、その立ち上げのために東奔西走すべきなのかもしれませんが、人間関係も良好なこの職場が快適すぎて、ちょっと腰が重くなっているくらいです(笑)。