井出 雄久 医師

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故郷の愛媛で、専門的要素を持った開業医として地域医療に力を尽くしていくのが私の夢。その前に救急を経験することで、整形外科外傷という新分野を確立させて、患者さんの命を救うことはもちろん、できるだけ障害のない状態で社会復帰できるようサポートしたいと思っています。同じ志を持つ整形外科医が増えてくれれば頼もしいですね。

イチロー並みの身体能力があっても、医師の道を選んだと思う

幼い頃から、開業医である父を尊敬してきました。職業というより、その生き方に惹かれていたんです。人のためになり、感謝される仕事をしていること、お金には変えられないやり甲斐を持って働いていることが、いかに人間を幸せにするかを、父の姿から学びました。
ですから、気が付いたら父と同じ整形外科医を目指していましたし、今から振り返っても、この道で良かったと思います。たとえ若い頃の私にイチロー選手並みの身体能力と野球の才能が備わっていたとしても、やはり医療の世界に入ったと言い切れますよ。

整形外科医が専従している救命救急センターは珍しい

とくに外傷治療の分野に興味を持つようになったのは、兵庫医大病院の整形外科や地方の関連病院に派遣されて、実際に手術に取り組むようになってからでした。
変性疾患に比べて骨折などを扱う外傷系は、どちらかというと若手医師の仕事とみなされることが多く、難しい症例が多いにも関わらず、ベテラン医師が携わる機会は多くありません。また、救命救急センターに整形外科医が専従している病院も少ないのですが、多発外傷や重度の四肢外傷がある場合、一命を取り留めたとしても内蔵へのダメージが大きくなるとか、四肢や神経に障害が残って社会生活に支障をきたすといったケースが珍しくありません。
もしも、専門性の高い整形外科医が初療から関わり早期処置を施すことができれば、「プリベンタブル・ディサビリティ(防ぎえた後遺症)」を減らしていけるのに――そんな思いから、古巣である兵庫医大病院の門戸を叩いたのです。
きっかけは、皆さんがご覧になっている、このホームページでした。。

アグレッシブな仲間に囲まれ、新分野開拓に全力投球!

この春まで、故郷での開業を視野に入れ、愛媛の中核病院で10年のキャリアを積んできました。整形外科を10年以上も続けていると、「私は関節外科が得意」とか「脊椎のスペシャリスト」といった専門分野ができてくるものです。けれど私は、既存分野にはあまり興味がなく、日本の外傷診療のレベルアップに貢献しようと努力している先生方とともに、「整形外科外傷」という新分野を切り拓いていきたいと思っていました。
救命救急の処置として全身管理をするゼネラリスト的な要素と、機能再建手術にも対応できる整形外科のスペシャリスト的な要素の両方をかなえられる職場を探すうち、母校である兵庫医科大学の付属病院に救命救急センターの新しいホームページができているのをみつけました。
記事からそれぞれの先生方の情熱が伝わってきて、この人たちと一緒にやりたいと直感し、すぐに恩師宛にメールを送ったのです。
4月から勤め始めて2ヵ月しかたっていませんが、アグレッシブな仲間から良い刺激をもらっています。ずっと専門分野だけでやってきたので、苦手なことも多いですが、診療レベルを上げるために来たのだという覚悟がありますから、すべてが勉強になりますね。

救急の常識と整形の常識の間に流れる川に橋を架けたい

pic_ide1さきほどお話ししたように、救命救急センターに整形外科医が専従している病院は少ないですし、命を救うことを優先するあまり、整形外科外傷に対するケアが二の次になりがちです。整形外科医で救命救急センターでの外傷診療に興味を持つ人はまだまだ少ないと思います。
しかし、逆に整形外科医の側が救急医療に興味を持ち、「プリベンタブル・ディサビリティ」を減らすためにレベルアップを図っている姿勢を示せば、救命救急センターのあり方も変わってくると信じています。なぜなら、なす術もないまま目の前の患者さんを亡くしてしまう辛さやご家族の思いに触れてきた医師ならば、根治できるかもしれなかった外傷を負い続けることの辛さを慮ることができると思うからです。
私のように救急医療に携わる整形外科医がどんどん増えてくれば、今は隔たりのある救急と整形の常識との間に橋を架けることができ、より多くの患者さんに貢献できるはず。
ぜひ、一緒に頑張りましょう!