中尾 博之 医師

高校生のときに手にした雑誌をきっかけに「災害医学」に関心を抱くように。若い頃は、救命救急の前線で働くことにやり甲斐を感じましたが、いまは少し後ろからチームを支えることに力を注いでいます。対処的な医療とどまらず、学問として災害医学を体系づけていくためにも、“互助”を土台に地域医療をマネジメントする力を培っていきたいですね。

 

災害医学への興味から救命救急の世界へ

伊勢湾台風、ホテルニュージャパンの火災、大阪・天六の地下鉄工事の爆発事故など、私が高校生だった頃の日本では、めったに起こらない災害が起こるたび、「次に同じような災害があったらこうしましょう」という対策を講じるのがやっとでした。それに比べてアメリカやフランスでは、自然災害のみならず、戦争やテロなどの災害にも通用する「災害医学」が体系づけられつつあり、医学部への進学を目指す私の興味を引くには十分でした。

 また日本の大学には災害医学を学べる講座がなく、代わり救命救急を学んでみようと、日本救急医学会の創始者である故・恩地裕先生を慕って香川医科大学に進学。医師となり、その日初めてお会いする方の人生最後の場面に遭遇するかもしれないという緊張感の高い日々が始まりました。

 

支援活動を後方からマネジメントする

 阪神・淡路大震災が起こった1985年は日本の災害医療にとって大きなターニングポイントとなりました。災害拠点病院や災害派遣医療チーム(DMAT)をつくるといった、医療体制を整備することに加え、通信や交通の手段を確保や情報網の整備といった地域ぐるみの支援活動をマネジメントする「災害医学」の重要性が少しずつ認められるようになりました。

2011年に東日本が震災に見舞われたとき、私は神戸大学病院の救急災害対策本部にいましたが、津波によって広い範囲の保健・医療機関が壊滅、医療スタッフも被災者となるケースが多く、思うようにコーディネート機能が働きません。さらに、地形上通信が届きにくい、救援物資の輸送で出来ないといった“想定外”の連続でしたが、だからこそ、DMATで情報収集や調整役を担う業務調整員や、現場に出向いている仲間たちが安全に気持ちよく仕事に集中できるようマネジメントする後方支援の役割が、とても重要だと痛感しました。

 

災害訓練は何のためにあるのか?

“想定外”をゼロにすることは不可能ですが、シミュレーションを繰り返すことで減らすことは可能です。そこで、急性医療総合センターでは、災害拠点病院及び特定機能病院として、さまざまな災害訓練を行っています。院内での訓練は年1回ですが、ほかにも内閣府の訓練、関西の訓練、兵庫県の訓練、西宮市の訓練などにも参加します。

地域の警察・消防・自治体といった医療職以外の人たちと一緒に訓練することで、医学的な面からでは想定できなかったような問題点があぶりだされるようになってきました。また、地域のキーパーソンと顔を合わせておくことで、いざというときの情報収集や職種を越えた連携がスムーズになると期待しています。つまり、日頃の地域医療こそが災害医療の土台。日本には、自助、共助、公助に加えて「互助(お互いに助けること)」という素晴らしい考え方が残っており、そこにほんの少し力を加えるのが医療の役割だと考えています。

 

救命救急での経験を災害医学に生かすために


img_nakao3急性医療総合センターのように、ハイスペックな手術室や検査機器が揃った施設で働けるとしても、まずは知り得た情報から自分なりの答えを出し、それを確認するために検査を使うという気持ちでトレーニングを積むことが大切だと思います。

たとえば、CTやレントゲンがとれなくても骨折の状態を正しく評価して適切に処置するとか、事故現場から搬送されてきた患者さんの状態や人数から、事故の規模や原因などを想像して備えるといったことを、個々の医師ができるよう技量を磨き、医療チームで英知を集めて予測できるようになれば理想的。被災地やドクターカーの中のような環境下でも、目の前の患者さんにアプローチできるすべが増えるはずです。


ヒポクラテスは「兄弟が学ぶことを欲すれば報酬なしにこの術を教える」と言いましたが、まだまだマイナーな災害医学という分野に26年間取り組み続けたことで、所属を越えた“兄弟”をたくさん得ました。これから災害医学を学びたいという人とも、生涯の兄弟として頑張っていきたいですし、どこに行っても支援は惜しまないつもりです。