平井 康富 医師
脳神経科医としてスタートを切り、麻酔科を経て救命救急へ。さまざまなバックグラウンドを持つ医師たちの見識に触れながら、ものを言えない患者さんの状態から推測する力を試されている気がします。専門医の資格を取れるくらいまで知識と技を磨き、それを、命をつなげるために使い尽くせるゼネラリストになりたいですね。
眼科で働く母の影響で幼少期から医学の道を志す
私は西宮出身ですので、2013年の春に兵庫医科大学病院に来たときは、故郷に戻ってきたという感じがしました。いつかは地元で開業することを目標にしているので、この急性医療総合センターに来たことが、大きなターニングポイントだったと振り返る日が来るかもしれませんね。
救急の世界に入るきっかけをくれたのは、大阪時代に親しくしていただいていた麻酔科医の教授です。最初に選んだ脳神経科が肌に合わず、臨床を離れて生理学者になろうかと迷いながら麻酔科へと転向。好きだけれど、何か物足りないと感じていた私に、「2次救急のアルバイトをやってみるか?」と勧めてくださり、おかげでプロセスを学ぶ面白さを知ることが出来ました。その後、内科医として3次救急にも携われる病院にも勤めました。
「命のリレー」でバトンを渡す側の仕事
ゼネラリストを理想とする私は、「使える技を増やすことになれば」と、いろいろな科を渡り歩いてきました。裏を返せば、「自分はこれでいく」という専門性を磨く機会を逸したかなという後悔もあります。将来開業して自分ひとりで看板を出すことを考えるようになり、世の中に認められる専門知識と技術を持っているという“お墨付き”が欲しいという気持ちが芽生えてきました。
そこで、麻酔の専門医か救命救急の専門医か――2つの選択肢が浮かびましたが、私が選んだのは後者です。恩師から「蘇生し、血管確保をし、気管内挿管をし、命がつながる状態にして、専門医に引き渡すのが麻酔科医の仕事だ」と教わり、医者と名乗るからには、一人でも多くの患者さんの命を救う現場で働いてみたいと思い、ご縁をいただいて兵庫医科大学病院にやってきました。
増やした知識の中からベストの選択をする努力
専門医、ことに開業医は、「誰かに相談する」という機会が少ないものです。主治医として患者さんと向き合い、自問自答しながら治療方針を決めていきます。それに対して、救命救急の基本はチーム医療ですから、私ひとりでは判断に迷うようなときでも、チーム内の別の誰かが専門性を生かした知識を出してくることもありますし、別の誰かが似たような症例に当たった経験を持っていることもあります。どんどん新しい知識が増え、今まででは考えもつかなかった視点からアプローチできるようになるので、毎日が勉強という感覚。ただし、知識が増えた分だけ選択肢も増えるので、迷うことも多くなりました。なぜやるのか、あるいはなぜやらないのか、「知らないまま決断する」のはダメだと思っているので、常に自問自答を繰り返しています。さらに、研修医に指導するという初めての体験も、知識を復習する良い機会になっています。
仕事の“染み”をつければ後に生かせるはず
資格取得を目指していた救命救急の専門医には、今年の春からチャレンジする予定です。自分が救命救急医に向いているかどうかはわかりませんし、どんな人が向いているかなんて言える立場にもありませんが、少しでも興味があって進路を迷っている人がいたら、「とりあえず、一年間やってみろ」と勧めたいです。この仕事は、実際に経験してみないとわからないですし、結果的に別の道に進むことになっても、手ぶらで帰ることはないと断言できます。
仕事って、どれだけ“染み”をつくれるかで、次のステップが変わってくるのではないでしょうか。専門医として患者さんと密に関わっていた15年間の“染み”と、急性医療総合センターでの2年半の間につくった新しい“染み”を、故郷である西宮で開業するという目標を果たすための力にしたいですね。