坂田 寛之 医師

父、兄、2人の祖父。医師という職業があまりにも身近過ぎて敬遠していた時期もありましたが、アフガン戦禍で医療の尊さに気付き、心が決まりました。研修医時代から救命救急センターで学び、先輩たちの知識・技術のレベルの高さに圧倒され続けています。だからこそ、自分にも負荷をかけて学び、働き、人として成長し、誰よりも優しい医師になりたいです。

――患者さんに安心感を与える人間性を磨かねば

実家が開業医ということもあって、幼い頃から医師という仕事を意識していたと思います。一時は、新聞記者等になろうかなと考えたこともありますが、ちょうど大学受験を控えた頃にアフガン戦争が起こり、設備が整っていない環境で命を救う大切さに気付かされ、医師になる事を決めました。
 研修先を選ぶときは、外部の市中病院にしようか大学病院にしようか少し迷いました。尊敬する先輩に相談すると、「医師になってから学ぶことの方が多いから、様子が良くわかっている病院にしたほうが良い。兵庫医大なら文献閲覧などの設備も整っている」とアドバイスされて、この病院での研修を志願しました。
 研修時代は充実していました。休日が取れないほど忙しく、人の死に直面するシビアな現場ですので、「楽しかった」という表現は正しくないのかもしれませんが、学生時代とはまるでモチベーションが違います。患者さんの存在が私のパワーの源でした。血液内科で研修していたとき、悪性腫瘍を患っていた方が、「先生の顔を見ただけで安心できる」と言ってくださったときは、こんな未熟な私でも役に立てるのだという嬉しさと同時に、医師として知識や技術を学ぶだけでなく、人間として成長していかねばという思いでいっぱいになりました。

――専門知識を生かす先輩医師たちの技量はすごい


 救命救急センターの先生方は、外科出身の先生、内科出身の先生、小児科の先生・・・と個性的な面々が揃っています。そのうえ、お一人おひとりの医療的知識が豊富で全てのレベルが非常に高いなと思いました。もし、私ひとりで診ていたら素通りしてしまうようなことを見逃さずに分析し、検証し、治療に役立てておられます。しかも、重症・重体の患者さんのご家族が不安になる気持ちを支えることも忘れません。
 研修1年目は、慌ててしまって十分な救急対応が出来ず、先輩医師の指示に従うのが精一杯でしたが、事後にわからなかった部分を調べて勉強し、いくつも症例に当たって精神的に慣れていくうちに、少しは先を見通せる余裕が出てきた…ような気がします。
 職場環境にも恵まれています。2013年3月に新しいセンターが完成し、より迅速な救急対応ができるようになりました。CCU・薬剤部など他部署との連携が密になったことは、患者さんにとってもプラスの変化だと思います。

――ラクな方に逃げないようハードルを設けている

 本来自分はサボり癖のある性格だと思っていますので、仕事の合間を縫って、外傷診療の試験を受けたり、学会に演題提出をしたり、全国各地でのセミナーに積極的に参加したりと、ラクな方に逃げないよう自分でハードルを設けています。昨年は、周囲のサポートのおかげで英語での学会発表も果たせて「出来すぎかな?」と思う部分もありますが、もっともっと自立して上の先生に大きなご負担をかけないようになりたいですね。
 センター長である小谷先生が、「自分の成長のためならば」と、海外研修や転職に対してもとても理解のある方であることも心強く、外の世界で勉強することもいつかはしてみたいと思っています。

――先輩として、研修医のサポートもしていきたい

pic_sakata2 私は患者さんに対して誰よりも優しい医師になりたいですし、研修医さんのことも出来るだけサポートできる先輩でありたいと考えています。研修に来た人たちに「救命救急に来て良かったな」と感じてもらえたら最高に嬉しいでしょうし、私を指導してくださった先生方への恩返しにもなるのではないでしょうか。
 研修先としては、仕事量が多く、目の前で患者さんが亡くなることもあって、心身ともにきつい場所かもしれません。でも、最終的に別の科に進むにしても、救急の知識は無駄にはならないはず。とくに、進むべき専門分野が決まっていない若い人なら、チャレンジする価値はあると思いますよ。