楠山 一樹 医師
研修医として救命救急センターを訪ねたときの印象は「しんどいなぁ」でした。でも一方には、他の病院の一般外来では診ることのなかった症例が続々と舞い込む環境に向学心をくすぐられる自分がいて、それが入局のきっかけになりました。
整形外科から出向して約半年になりますが、時間的制約のある中で判断する力が少しずつ養われてきた気がします。将来は、その能力を開業医として役立てたいですね。
田舎の町医者では診る機会のない症例の連続
私が医学の道を志したのは、父が整形外科の開業医をしていたからです。将来は地元の和歌山に戻って町医者としてやっていくつもりですが、救命救急センターには、骨盤骨折や背骨の外傷など、命に関わる重症を負った患者さんが運ばれてくるので、とても貴重な経験をさせていただいていると感じています。田舎の小さな診療所では全身管理をしながら治療にあたる設備もマンパワーもないので、他の病院に送るしかない症例がたくさんありました。
赴任したばかりの頃は、「他の先生たちに迷惑をかけるのでは・・・・・・」という不安でいっぱい。整形分野ならまだしも、専門外の症例に関しては医学部で習っただけで臨床経験がありませんでしたからね。実際、一緒に初療を担当する先生に教えていただくことばかりでした。1つの症例に当たるたびに、学生時代に習ったことを思い出して知識を整理し、対応を頭の中でシミュレーションし、再び実践の場に立つ、ということの繰り返し。努力の甲斐あって、今では研修医と二人だけでもある程度のことは出来るようになって、自信がついてきたところです。
整形外科医としての経験も無駄ではなかった
とくに整形外科というサブ・スペシャリティを持つ立場から意識するのは、救急での初療が終わった後の患者さんが、どのくらい機能改善してくれるかということ。以前、開放骨折の患者さんが運ばれてきた時に、命を救うために手を尽くしたものの、脚を切断することになってしまい、救命と機能保全を両立させることの難しさを痛感しました。ひとくちに骨折といっても、粉砕の程度やご本人の回復力の違いによって改善の具合が違ってくるので、リハビリなどの後療法までイメージして見送ることができるようになりたいですね。
最初から救命救急のスペシャリストを目指す人もいるでしょうが、私の場合は外の病院で経験を積んでから入って良かったと思っています。救急ほどの重症ではないにしても、それなりの数の一般外傷を診ることで、実践的な知識や医師としての勘を身につけることができたからです。そういう段階を踏んだからこそ、時間的制約のある中で判断するというシビアな状況にも、比較的早く慣れることができたのではないでしょうか。
先輩の経験を含む意見と、後輩の質問に学ぶ
研修時代に一度お世話になっているので顔見知りの先生も多いのですが、同じ救命救急チームの一員になってみて、皆さんの偉大さを再認識しました。というのも、生死に関わる現場で先輩たちが口にする意見は、単に医学的な知識を集約したものではなく、“経験”という要素を含んだ意見だということがわかったから。特に、整形以外を専門とする先生の初療対応を学ばせていただくことは、私に新しい視点を与えてくれ、医師としての幅を広げてくれると確信しています。
また、大学病院ということで研修医から質問を受ける機会も少なくないのですが、ちゃんと説明するために錆びた知識を磨き直すこともしばしば。下からの突き上げは、いい刺激になりますよ(笑)。
専門医に必須ではないステップをあえて踏む
私と同じように最終的に専門医を目指す人にとって、救命救急という経験は、必ずしも踏まなくていいステップだと思います。とくに田舎の町医者なら、命に関わるような重篤な骨折を扱う機会なんてめったにないでしょうからね。でも私は、どんなにレアケースであっても、自分の患者さんが急変したときに対応できる医者でありたいし、他の病院に送るにしても、後のことを想定して処置できる医者でありたいんです。
3浪で医学部に入った息子が救命救急に移ったものだから、父は「左遷されたのか?」とからかいますが、私はもうしばらくこの職場で頑張るつもり。本当に危険なことと、そうでないこととの境目を見極め、より適切な判断を下す力を養ってから故郷に戻ろうと思っています。