寺嶋 真理子 医師

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当センターに赴任した年に、「JR福知山線脱線事故」が起こり、本格的な病院トリアージを経験しました。救急医として救命救急に関わりながら、特殊栄養についての研究も続けています。そして、家庭では一児の母として育児に奮闘中。私にとっては、仕事・勉強・家庭と、ワークライフバランスを取りながら働ける最高の職場です。

多種多様な症例にあたり、より良い治療を選ぶ目を養いたかった

pic_hashimoto1大学卒業後、消化器外科として医局から外部の病院へと派遣されて臨床にあたってきました。やがて、「この治療でよかったのか、自分の知らないもっとよい医療があるのでは?」と思うようになりました。また、臨床だけでなく研究も行ないたいと考えるようになりました。ちょうどその頃、救命センター派遣の打診があったのです。
だから、当センターへの配属を打診された時は嬉しかったですね。高度医療を学ぶ上で、指導をあおげる先生方がそろっておられたことも魅力でした。
想像していた以上に仕事は充実しています。患者さんの劇的な回復ぶりに人間の生命力の強さを教えてもらったり、ドラマやニュースでしか見なかったような事件に遭遇したりと、毎日が驚きと感動の連続です。

外科医の専門性と女性としての心配りを、チーム医療の中で活かす

2005年に起きた「JR福知山線脱線事故」では、113名もの被災者の方を受け入れました。どんどん患者さんが搬入されてくるため、時間的に余裕がなく、治療をするだけで精一杯でした。また、診療結果や治療後の注意点などに関する説明ができないままの状態でしたので、患者搬入が一段落してきた時点で、セカンド・トリアージ(再評価)と説明にまわりました。治療すれば終わりなのではなく、治療を再評価し、必要に応じて次の治療へと引き継ぐことも、救急医療の大切なポイントなんです。
また、症状や治療方針をきちんと説明するなど、メンタルケアも怠らないよう心がけています。災害時に限らず、救急搬送されてくる患者さんは、予期せぬ事態にとまどい、気持ちが混乱していることが多いもの。患者さんの社会的立場やご家族のお気持ちを慮ることに、女性らしさが活かせているなら幸いです。
ただし、亡くなられる方も非常に多いため、もう少し何かできたんじゃないか・・・という気持ちを引きずってしまうこともしばしば。その悔しさを勉強や研究へのパワーに換えて、次の治療に役立てていくようにしています。

出産を応援してくれた仲間たちと、育児を支える福利厚生に感謝

pic_terashima2私事ですが、2006年に結婚し、08年には出産も経験しました。仕事も大学院での勉強も続けていきたいと思ったので、育児休暇の制度を使わせていただくことに。ところが、いざ出産してみると、子どものそばにいてあげたいという気持ちも出てきますし、一度休んでしまうとなかなか気持ちが戻らなくて・・・。正直、このまま辞めてしまおうかという思いも頭をよぎりましたが、タイミングよく、提携の保育園が出来たことが、私にとって追い風になりました。
そして何より、職場環境に恵まれたことが大きな心の支えになりました。
救命救急と聞くと、寝る間も惜しんで、秒刻みで働く姿を想像される方も少なくないでしょう。もちろん、忙しくないわけではないですが、医師のみならず、看護師らスタッフ全員が職種の垣根を越え、連携しながら働いているせいか、何においても「フォローしあうのが当たり前」というムードが高く、私の出産が決まったときも、誰もが快く送り出してくれました。今でも育児と仕事を両立できているのは、周囲の理解と協力あってのこと。おかげさまで娘はすくすくと育っています。

小さな地域密着の組織ながら、仕事の目線はグローバル

当センターは、こぢんまりとした組織でチームワークは抜群!  スタッフの数が少ないからこそ、他病院との連携を大切にしており、それが地域医療のレベルアップにもつながっているように思います。たとえば、ベッドが満床のときに転院を受け入れていただくなど、周囲の病院の協力なくして地域の救命救急医療は成り立ちません。
また、特殊栄養素による免疫担当細胞の制御について研究を続けているのですが、臨床応用のチャンスが多いことも、救命救急センターならではのメリットかもしれません。センター長の小谷先生は、国際学会での発表の場を与えてくださるなど、常に「世界基準」を意識してアカデミックな視点から指導してくださいますし、常に向上心を忘れない仲間たちから刺激を受けて、自分も頑張らねば!  という気持ちが消えることはないですね。